ほぼ1年前の12月にこんなことを書いていた。
日本ではコロナなど全く関係なかった頃に何を考えていたのかなと思って少し過去を気にしてみた。
きれいさっぱり忘れていたが、ラジオで聞いた『鳥の視点』に触発されて書いていたようだ。
飛んでる鳥には、現在と未来しかなく過去がないという話だ。
今年も残り1ヶ月、この1ヶ月で2020年は良い年だったと言えるように持って行きたいものだ、と考えることは未来に意識を向けてるように感じられるが、今年の場合は、失ったものをどれだけ取り戻せるだろうかという意識にもなりやすい。
その場合は、過去への執着や未練のようにも感じられる。
鳥に例えるなら、もはや飛んでないと言えそうだ。
社会のシステムであり、単なる思い込みに過ぎないはずだが、11月が終了すると残り1ヶ月だと思い込み、年が明けると一旦リセットされるような気になってしまう。
リセットされると連続性は途切れ、意識は未来に向かうようでありながら実は過去を引きずる方向に向かいやすい気がする。
地球が宇宙の中心だとする天動説に異論を発し、地球は回っているという地動説を唱えたガリレオは裁判にかけられ有罪になり、地動説を放棄する宣誓をさせられたが、その際に『それでも地球は回る』と言ったと伝えられている。
この話と、日本でイノベーションが起こりづらいことが結ぶつく。
未来を見ようとしてるはずなのに、過去に縛られているように感じられる。
過去は、伝統でもある。
コロナに関する情報も中心になるのは感染者数の発表で、未来への意識は『明日の感染者は何人になるのだろうか?』が中心で、これは質的には未来ではなく、過去を引きずってるだけだ。
鳥の視点には、他にも大きな特徴として俯瞰して見るというのがある。
菅総理が言うところの『俯瞰的』とは全く違う真の俯瞰だ。
2020年も残り1ヶ月だからこそ、2021年になってもリセットされない未来を鳥の視点で見渡したいものだ。