新しいものが好きな人というのがいる。
最近だとガジェットオタクなんて言われる分野も確立している。
新商品がリリースされると真っ先に欲しくて欲しくてしょうがない人達だ。
YouTuberに多い商品レビューは、それを趣味やビジネスにしてるという意味では消費や出費というだけでなく、実利を得ることも目論んでいることになる。
欲しくて欲しくてしょうがないけど、手に入れたとしてもいつまでも手元に置いておきたいとは思ってないだろうと想像できる。
置き場所だけでも大変なことになるだろうし、目も肥えるだろうから、ちょっと良いくらいでは実際には全く評価しなくなるだろう。
個人でやってれば投じる費用だって個人で賄えるレベルを越えそうだと容易に想像がつく。
と、考えていたら初めて分かったのが転売市場という存在であり、メルカリが果たす役割だ。
GoogleTrendsで検索可能な2004年以降で転売を見ると、
突出してる今年の3月のコロナによるマスク等の転売で霞んでいるが、2004年以降コンスタントに右肩上がりで伸びていることが分かる。
これにメルカリを重ねると、
転売市場の活性化の推移が感じられる。
私はメルカリが流行ってると聞いても自分に関係することだとはずっと思えずに今日に至っている。
そして今更ながら理解できるのが、リリースされると同時に手に入れたものを使ってレビューすると、すかさず転売することでほぼ買ったのと同じくらいの価格で転売できるとすれば少ない元手でも商品を回転させることは出来るようになる、ということだ。
メルカリを転売アプリとしか見てないと、先見性など全く感じなかったのだが、背景にある世の中の動きを見越していたとするならばすごい先見性だと感じられる、今更ながらだが。
ところで、この欲しくて欲しくてしょうがないけど手元に長く置かずに転売する様を想像すると、その商品との関係性は両想いなのかそれとも片想いなのかと考えてしまう。
そのように考えていて思い出した話がある。
バブル景気の頃の話だ。
所有してる不動産は、必ず買った時よりかなり高く売れると信じられていた時代だった。
手の届く範囲の戸建てやマンションを買い、そこから短期間に転売し、少しずつ手の届く範囲が高額な物件になることを繰り返すことで、最初の時点からするととても手の届かない物件を所有することができるという業者まがいのことをする人が少なくなかったのだ。
不動産を活用したわらしべ長者作戦とでも呼べば良いだろうか。
バブルの崩壊を迎えた時点で、物件を売り抜けていた人はラッキーだったが、崩壊直前に最も高価な価格で物件を手に入れた人には地獄が待っていたのだ。
これはこれで転売物語だったなあと思い出せる。
現代の転売は、わらしべ長者というよりも、もっと時代に即したサスティナビリティ(持続可能性)が感じられる。
恋愛を基準にすると、片想いよりも両想いの方が良いような気がするが、離婚率の増加を見ると始まりが両想いというだけではサスティナブルではないのだなと感じられる。
相手が人間ではなく商品の場合だと、欲しいという気持ちと、両想い、片想いの関係はどのようになってるのだろうかと考えてしまう。
両想いになれると思うからこそ欲しいと思うのか、両想いであることを確認した上で欲しくなるのか?
欲しくて手に入れても、『ああ、結局片想いだったな』と分かれば転売するのが今の時代なのかもしれない。
昔だったら質屋というのがあったが、質屋のイメージは転売というよりも資金繰りのイメージが強く、両想いのものを泣く泣く手放すイメージになる。
ところで、商品レビュー等では長期間のインプレッションというのは最近ではほとんど見なくなった。
つまり良し悪しが短期間で決定されるのだ、昔だったらずっと使い続けて初めて良さが分かるというものが多かったように感じるが。
これは人間関係にも通じそうだ。
ものを取っ替え引っ換えすることがあまり好きではない私は、マイナーな側の人間であることがよく分かった。