アンジャッシュ渡部さんの多目的トイレ不倫に対する謝罪会見の記事や、その会見を見た人の印象のキーワードは嫌悪感だと言えそうだ。
9割は渡部さんに対するものであり、残り1割が取材する側や世間の反応に対するものに感じられた、9割とか1割というのは根拠のないわたしが受けた印象に過ぎないが。
1割の嫌悪感は、世間から消えないイジメと結びついてのもので、この嫌悪感を感じてる人はおそらく罪を憎んで人を憎まずというタイプだと感じるが、おそらく死刑廃止など漠然としたテーマで議論すると罪を憎んで人を憎まずという反応はもっと多いと思われるが、問題が具体的だと圧倒的に罪を憎むときは人も憎むだなと感じられた。
特に日本では。
法律と道徳が対立するかのように感じられることが多いのは、もしかしたら生活の中で染み付いている儒教的な何かのせいかなとも感じる。
最近の、罪を憎むときは人も憎む出来事としては、この事件も世間の大多数が被告に強い嫌悪感を感じている。
池袋 母子死亡の暴走事故 目撃者3人「ブレーキランプつかず」 #nhk_news https://t.co/bXayDXvYZa
— NHKニュース (@nhk_news) 2020年12月3日
キレる人が増えている。
キレるということは、怒ってると一般的には捉える。
だから、なぜそんなことで怒るんだということがよく話題になる。
例えば、子供の声が聞こえると言って腹を立てる人、特に年寄りが増えてることが話題になったり。
多くの人には怒る理由として納得できないことは、広い意味での嫌悪感なのだろうと思うと、諦めるしかなさそうな雰囲気が漂う。
虫が嫌いな人に、虫の魅力を一生懸命伝えても何も伝わらないだろうように。(子供が虫だと言ってるわけではない、念のため)
嫌悪感というのは元々は生理的な反応でアレルギーに近いようなものだと考えられるが、今回の渡部さんの謝罪会見を受けてTwitter上には渡部アレルギーということばが溢れていた。
さて大事なことは、これからの処世術としては好き嫌いのレベルを越えて嫌悪される生き方はバレると取り返しが付かなくなると覚悟する必要があるということだ。
旅の恥はかき捨てということばがあるが、周りの人は誰も知らないからと調子に乗った行動を取ると、どこで写真や動画を撮られるか分からないし、その行動が嫌悪の対象になればほぼ確実にネットにアップされるはず。
そうなるとかき捨てたつもりの恥は、自分に倍返し、いや100倍返しで戻ってくる時代なのだ。
今も昔も世の中は反面教師で溢れているのに、なぜか歴史は繰り返す。
こんなこと誰でもやってるよ、バレても謝りゃ良いんだろう、などと世の中を舐めることは確実にリスクになる!