無限の色がグラデーションを描くように存在してる、ように感じられるが色は赤、緑、青の組み合わせや濃淡のバリエーションとしてしか存在してない。
赤、緑、青は色の三原色と呼ばれる。
色は目で感じるものでもあることから、色は光でもあると言える。
だから、色と同様に赤、緑、青は光の三原色でもある。
色は色としてだけでなく、光としても存在しているので、客観的な存在でありながら、目で捉えて脳で理解したり感じたりするという意味では人の数だけ違っていても不思議ではないので、極端に主観的な存在とも言える。
同じ色を見てるからといって、同じ色に見えてるとは限らない。
見えてる色は、気分によっても大きく変わることを私たちは自分自身の体験として理解できるだろう。
2009年の3D映画のアバターを観た後で、現実世界がなんと色褪せた世界かと絶望し自殺者が世界で出ているという話があった。
<参考>
タイタニックを抜いて全世界興行収入第1位となるほどの大ヒット作品となった「アバター」。2Dと3Dの両方で公開されましたが、2Dで撮影してあとから3Dに変換する“エセ3D”ではなく、3D撮影のためにカメラを開発したという力の入れよう。
しかし、あまりに現実よりも魅力的な世界であったことから映画鑑賞後にうつ状態になったり、現実に絶望する人が続出し、自殺者が出たという噂まで流れています。
わたしはこの噂を聞いたことで観るのをやめた。
その理由が、アーティストが感性を研ぎ澄まさせるために麻薬を使い、そのために研ぎ澄まされた感受性を手に入れたがために廃人になっていくということとダブって見えたからだ。
ブームを越えて社会に定着した写真趣味は、編集や加工のブームにつながっているが、これは目に見えてる景色や風景と写真のギャップを補正することが当初の目的だが、やがて、このように見えるともっと魅力的だろうと誇張する方向に向かい出している。
想像や空想を創造してると考えれば、夢中になる気持ちはよく分かる。
割り切って楽しんでるうちは何も問題ないが、創造の世界の方に魅力を感じるあまり、現実世界に失望や絶望を感じるようになってしまったら大変だ。
これって、色や光に翻弄されてると言えるし、現実逃避だとも言える。
もし、現実世界が色褪せて見え始めたら、それは危険信号かもしれない。
そんな時は、路傍の石や道端の草花に目を向けよう。
道端の石ころも宝石も大した違いはないなと思えるうちは、まだ人として壊れてはいないだろう。