車の運転でやってはいけないとされるのが、急加速、急ブレーキ、急ハンドル。
ましてや、運転してる人が乗客を乗せてる運転手であれば尚更だ、建前上は。
しかし、現実的には運転手の資質のせいだけではなく、乗客の側が『もっと速く』と要求することも多い、特にタクシーでは。
『時は金なり』など時間の大切さを訴える考え方は昔からあるが、この諺調べてみると外来語で18世紀の人であるベンジャミン・フランクリンのことばの訳語。
時間に重きをを置く価値観というのは比較的歴史が浅いことがわかる。
昨日、今年の漢字は二文字だったら『一斉』だったのではとブログで書いたが、2020年の一斉には唐突感が強いという意味では、急加速、急ハンドル、急ブレーキとよく似ている。
乗客である国民が、国の急な運転捌きに追従できずに悪酔いしたり、事故でもないのに鞭打ち症状が出たりしている。
船の時代から車の時代になり、そして航空機の時代になり、長い距離の移動時間は大幅に短縮したし、通信の発達も時間短縮には大きく貢献してるが、これらの発達や発展のスピードは急ピッチなどと表現されるが、客やユーザーなど使い手が急を強いられたりは少なかった。
しかし、その発達や発展を支えた裏方の世界では急が強いられることは多かったはずだ。
最近10年くらいで急速に資本主義の限界を伝える話が増えている。
もし本当に限界を迎えているならば、急に変わらざるを得ない何かが出て来るかもしれない。
日本にいるとピンとこないがイノベーションを目指す界隈では私たちが全く知らないテクノロジーが研究され実用化に向かっているはずだ。
それらのテクノロジーが世に出てくるときは、世間に急な変化が訪れるだろう、スマホなんて比較にならないくらい。
スマホはパソコンの携帯化だから、サイズ感の変化は大きなイノベーションだったが、スマホを使って出来ることにイノベーションはなかったので、スマホが可能にした時代の変化はどちらかというと予定調和的で急な唐突感は少なかったが、これから訪れるテクノロジーは急な対応や反応を強いるものが増えてくるかもしれない。
コロナ後とかwithコロナと呼ばれるようになったことがキッカケで、従来の手法や感覚が通用しなくなったかに見えている。
これが一過性のものなのか、ここからさらに大きく変化するのか?
時代を読むことはつくづく博打だと感じられる。
今、多くの人が心のどこかに不平不満を抱えているはずだ。
不平不満が動機になって行動すると急な唐突感が出ることが多い、そのような行動が吉となればスピード感は賞賛されるが、凶となれば『急過ぎた』と結論づけられる。
こんな時代だからこそ、決してことばとしては良い響きではないがモラトリアムが大事になりそうだと感じる。
多様な意味を持つが、定義は自分なりに設定すれば良い。
これからの時代の変化を見据えてのモラトリアムとは、プランBやプランCを常に準備することに似てる気がする、ちょっとした変化を捉えてプランの改訂を随時行うことが必要になるはずだ。
そのためには少々の時間が必要になる。
急な判断だと誤りに近づくだろう。
お金にまつわる話では、急な決断を強いる話が世間に溢れてきている。
一昔前だったらいかがわしい企業しかしなかったようなCMや広告を大看板を背負った企業がやるようになっている。
自分自身の考えで急な判断や決断をするのは構わないが、
急な決断や判断を強いる話には要注意だ。
2020年は、急を強いる緊急と不要不急がせめぎ合った年だったが、この対立関係は各分野でしばらく続くはず。