決断や判断をしなければいけない時は、大抵がピンチの時。
突発的な事故や地震のように前触れなく訪れるピンチもあれば、受験があるのは分かっているのにずっと勉強しなくてある日突然ピンチを実感したりなど様々あるが、時間軸が重要な気がする。
つまり、あることや起きることが確実で、そのために割り当てられる時間配分が読めるピンチもあれば、あるかどうかも起きるかどうかも分からないことや、起きるとしてもいつなのか分からないことへの備えが必要というピンチもある。
そんな時に直面する課題は、
- 備えや準備が奏功するとは限らない
- そもそも名案が限られてる、または無い
- ピンチは一つだけではないので優先順位が付けづらい
- タイムリミットが迫っている
などなど。
コロナに振り回された2020年は、日本だけでなく世界中で2019年には必要とされなかった判断や決断が求められた年だった。
それらが成功したのか失敗だったのかは未来の教科書が教えてくれるだろう。
一方で、歴史は繰り返すと言われるように『いつの時代も人間のやることは大して変わらないね』とでも結論づけられてるのだろうか。
判断や決断が求められる時に時間軸が大事だとすると二つしか無い。
今か未来かの二つ。
もっと正確にいうと、今という時間の幅をどのくらいに見積もるかだ。
判断や決断をするためには、情報という材料が必要になるが、どのような情報が得られたら正しく良い判断や決断ができるだろうか?
同じ情報を得ていても、体調が良くないだけで判断や決断は変化するかもしれない。
周りにいる人が誰なのかによっても変化しそうだ。
判断や決断の失敗の中には、『あの情報さえ入手しなければ』、『あの人に相談さえしなければ』というものがよくある。
現代人にとっての心配や不安の多くが、どうなるかわからない漠然とした未来に対するものだが、こうなると長生きが一番怖くなる。
人類の歴史を振り返ると、最大の恐怖は死とされていた。
だからこそ、死に近いこととして、飢えることと凍えることを恐れていた。
最後は死ぬのだが、現代人は長生きに恐怖し地球温暖化も恐れるようになってしまった。
思えば遠くに来たもんだ。
人類が長いこと望んでいた暖かく長生きできる未来のはずだが、実現したかに見えると、そのことが新たなピンチになっている。