違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

二兎を追う者は一兎をも得ないのに、なぜ悪いことは重なるのか?

多様性の時代だと言われる割には、根強い画一性も感じられるのが現代だ。

 

複数の課題や選択肢が目の前に突き付けられた場合、一度にできるのが一つだとすると、優先順位をつけて順番に捌いていくか、できる一つのこと以外は切り捨てるかしかなくなる。

 

ちょっと面白いツイートが流れてきた。

 

わたしは、現代的だな〜と思ってしまった。

 

 

 

ツイート主はカメラ界の有名なYouTuberで、昨今話題になる迷惑系の真逆に位置する方で、穏やかな文面からは内心の苦々しさが感じられる。

 

 

 

上記の場合、どう行動するのが正解なのかはさて置いて、全てを両立することが不可能という状況はを誰の身に起きても不思議ではない。

 

昔から、二兎を追う者は一兎をも得ずと言われるが、そんな時に脳裏をよぎるのは一石二鳥だったりする。

 

どのように行動しようと、結果オーライの勝てば官軍と考えがちだ。

 

 

今年はコロナで大騒ぎになったがこの秋冬でインフルエンザとのダブルパンチが起きたらどうしようかと懸念されていたが、インフルエンザは全く流行の兆しすらない。

 

消毒やマスク着用の徹底の結果だとおそらく多くの方が思っていて、そのためにインフルエンザが駆逐されたのだろうと感じているだろう。

 

世の中の諺には悪いことは二度三度と重なって起きることが珍しくないと伝えるものが多い中で、現実世界では不幸中の幸いになっていると楽観的な気持ちになっているかもしれない。

 

しかし、

 

コロナによってインフルが激減!いいことかと思ったら  TBS森本毅郎スタンバイ

通常は、今年流行したインフルエンザから、「その型のインフルは今年流行して、もう集団免疫ができているから、来年は流行しないだろうな」などと考えながら、翌年の流行を想定し、翌年用のワクチンを考える。だから流行しないと、翌年のワクチンがうまく作れず、翌年以降、大流行するリスクが出てくる、ということでした。

 

 

コロナとインフルエンザのダブルパンチの懸念は来年なのだということのようだ。

 

 

二兎を追う場合に障害になるのは、そもそも両立し得ないことを求めることにある。

 

それに対して、悪いことが重なる場合は、無理なく成り立つことが連続的に起きる。

 

運転をミスする時にほぼ起きていることが、見なければいけない方向を見ずに、見てはいけないところを見ているということ。

 

これは自動車よりも二輪車により顕著だ。

 

悪いことが重なる場合は、見てはいけない方向ばかりを見るということが起きているはず。

 

見るというのは例えで、広い意味でいうと意識することと意識の方向が重要になるだろう。

 

悪いことを想像したり考えるという力はとても強いので思いは通じやすいということではなく、すでに悪いことが起きているのにすぐに対処しないから取り返しがつかなくなると言っても良いはずだ。

 

それに対して希望や願望はとても力が弱いので、よほど強く思ってないと通じないということではなく、起きる兆しもないことをただ意識してるだけだから叶わないのだ。

 

コロナ前の21世紀の日本は、グローバル化の煽りを受けて工業の空洞化が起き始めていたが、その隙間をインバウンドの観光需要が埋めていた。

 

これらの変化は、今俯瞰で振り返るから気付けるが、現在進行形で進んでる時にはピンとこなかった。

 

そんな日本のインバウンドが東京オリンピックに期待していたが、突然コロナに襲われてしまった。

 

突然だったので、兆しを掴んで対処することなどできなかったので、ほぼ全てに近いくらいの人々がダメージを受けることになった。

 

コロナが登場してほぼ1年になるが、大きく二つの方向性が考えられる、どちらにしても小さな兆しは見えている。

 

一つは、コロナが収束したら元に戻っていくという見通し。

 

もう一つは、もう元には戻らないという見通し。

 

元に戻るならば、当面のお手本はすでに過去にあるので対処はいくらでもできるだろう。

 

では、元には戻らないとしたら兆しとして捉えるべきは次のようなことではと感じられる。

 

  • グローバル化にブレーキがかかった

 

  • インバウンド需要にブレーキがかかった

 

 

グローバル化やインバウンドは意識が外に向かうことであり、需要と供給の海外依存を高めることだったとするならば、それが途絶えるとなるとどこに活路を見出すべきかは自明で、地産地消だ。

 

 

一部では文化や技術が消滅したものもあるだろうが方向性としては地産地消は無視できなくなるはずだ。

 

誰の目にも明かな兆しと言えるだろうが、それに対してどう対処するのか、あるいはしないのかは大きく分かれるはずだ。

 

実際には兆しの捉え方は人それぞれだろうが、同じ時代に同じように生きていても運を掴める人と悪いことが重なる人はいる。

 

大事なことは、見るべき方向であり、兆しを掴むことだ。