違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

紅白歌合戦やサザエさんが象徴する高齢化に抗いたければ誰も知らないステージを見つけるしかない!

種を蒔いてから芽が出るまでの時間が長いと、蒔いた種はダメだったんだと思ってしまう。

 

一方、芽はすぐに出るし見た目の成長も順調だが実をつけない場合も、種がダメだったんだなと思ってしまう。

 

家庭菜園あるあるで、『やっぱり安い種はダメなのかな』と思ったり、『蒔く時期やタイミングの問題かな』と考えたりもするのは、一種の学習なのかなと感じる。

 

どんなに考えても種の気持ちは分からないが、ウンチクは集めようとする。

 

 

そんな時、種はいったい何を思っているのだろうか?

 

人間だって種のようなものなのだ、というか生まれただけではまだ種なのだ。

 

寿命が伸びることを一般に高齢化と呼ぶが、人として芽が出るタイミングも高齢化しているし、場合によっては芽が出ないまま人生を終えたなと思われる人も多いはずだ。(思いっきり自分のことを棚に上げてるが)

 

 

 

 

現代が高齢化してるということはサザエさんも教えてくれる。

 

 

 

 

サザエさんよりも紅白歌合戦の方が分かりやすいのかもしれない。(紅白見なかったけど)

 

 

 

 

従来の年齢枠に照らし合わせると年齢不詳が増えるのも当然なのだ。

 

寿命が伸びるということは、芽が出る時期がずれたとしてもなんの不思議もないし、実だって変化して当然だ。

 

高齢化してる現代だが、それに抵抗するように若く見えることに夢中な人がどんどん増えている。

 

若く見えるということは、種が成長を拒否するようなものであり、実をつけることを拒否することのようにも感じられる。

 

こう書きながら思い出すのが近藤サトさんだ。

 

近藤サト「40代からグレイヘアに! 白髪染めもお化粧もやめました」 過去にしがみつかず、潔く何かを手放そう 

私の場合、白髪が出始めるのが早く、20代後半から悩まされていました。そのためフジテレビのアナウンサーをしていた頃から、白髪染めが欠かせなくて──。

 

(中略)

 

2011年の東日本大震災の後、災害時用グッズを揃えた際に、白髪染めもその中に入れたのですが、非常時に髪を染めるってどうなんだろう、無駄な行為ではないかと、ふと疑問に思ったのです。

 

(中略)

 

一般企業で働いている友人いわく、「グレイヘアは絶対無理」。取引先の人と会う時は、「若々しく見えたほうが得」なんだそうです。

 

(中略)

 

今の私は、「歳をとって何が悪いの?」「シミができて何が悪いの?」と思っています。「20歳や25歳の時の自分は、確かに肌はつるつるだったかもしれないけれど、中身は空っぽだったじゃないの」。そう自分に言いたいですね。

 

 

 

この話のおもしろいところは、人間が成長して実をつけたと思っていることの多くが、ただの煩悩だと教えてくれることだ。

 

 

高齢化に関してMー1の話を引用したが、今年のMー1では『あれは漫才なのか?』と話題になっていた。

 

マヂカルラブリー M1優勝も無言ボケに“漫才じゃない”と論争 2020/12/21(月)

従来の喋りを中心とした掛け合うスタイルの漫才ではなく、ほぼ喋ることなくジェスチャー中心のボケで優勝を掴んだマヂカルラブリー。しかし斬新すぎる内容だっただけに、SNSでは“マヂカルラブリーのネタが漫才かどうか”についての論争が起こっている。

 

 

ところてんが押し出されるように、誰しもが高齢化は避けられないのだが、それに抗おうとするのは不自然なことで、その抗いの限界はすぐに訪れるのだと見えてくる。

 

芸能人などテレビに出ている人たちがYouTubeに進出するのも、高齢化で上が糞づまっているからだと考えると、もし高齢化に抗いたいゆえと思うならば、伝統など前例や先例が多い分野から外れたものを探す必要がある。

 

 

ただ、テレビに対するYouTubeですらすでに伝統的な存在になりつつある。

 

 

さて、新しいステージをどうやって見つけようか!