今朝おもしろい記事が出ていた。
“切れ者の官房長官”じゃなかったの? 菅首相のコロナ対応がこんなにもお粗末な理由
〈「みなさん、こんにちは。ガースーです」――インターネット番組でこう自己紹介する菅義偉首相の姿を見て“これが一国の宰相か”と、全身から力が抜ける思いがしました。安倍政権を官房長官としてあれだけ長く支えてきたのだから、推進する政策の是非は脇に置くとしても、少なくとも“カミソリのような切れ者”だったのではなかったのか、とこれまでの認識も裏切られました〉
この記事はTwitter上でトレンド入りしていていろいろな意見や感想がでていた、それらを読んでいて記事との関連性は直接はないが、思いついた話。
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IT技術とインフラの発達と普及がテレワークやリモートワークを支えている。
その一方で印鑑が否定されるようになり始めた。
このような流れは自然な流れに感じられるが、これは実質を伴った変化なのだろうか?
なんとなくイメージを持っていることと、実際の間にはギャップはないのだろうか?
なんだか疲れたニュース。
— ホンマ⚜️仕組みを考える人 (@hirohom2) 2020年7月2日
日本の企業からZoomにある要望が寄せられるとか。
上座がどっちかわかんないし偉い人も偉くない人もみんな同じサイズだからなんとかしてくれと。
なんかこう、
ガッカリする。
偉い人からすると社員てそういう存在にしか見えないのかしら。
その風習。
やる気なくす。 pic.twitter.com/8b8DsX32bS
先入観で持つヒエラルキーの構造はピラミッド状のものになりがちだ。
だからだろうか、序列を設けることが必要な場合もピラミッド構造になりがちだ。
これは、歴史を振り返ると、必要な指示や命令を伝達するために必要な構造だったと考えると納得できる。
アナログな方法で大勢の人に、コンセプトに基づく指示や命令を伝える場合は、重要度が高く内容が複雑になるほど一度に伝えられる人数は少なくなるからだ。
しかし、ITを活用することで一度に大勢に伝えることは充分に可能になった。
このような伝え方の場合、受け取る側のリテラシーが求められるので、差がつくとしたらリテラシーの差が原因になることが増える。
ITを前提にすると、組織はピラミッド構造よりも文鎮構造の方が機動性は高くなる。
文鎮構造の組織はフラット化組織ともいわれる。
どちらの構造にしても、人間のやることは最終的には人の質の問題に行き着く。
わたしが最初に文鎮型の組織という話を聞いたのはバブル景気が崩壊した後の90年台の前半から半ば頃にかけてだった。
中間管理職が組織から活力を奪うという意味で文鎮型の組織が理想として語られ始めていたのだ。
当時ITは全く普及してなかった。
その頃から25年が経過してるが、日本企業のイメージはピラミッド構造のままだ。
しかし、ふと思いついたのは別のところで文鎮型の構造が浸透してるのではということだった。
いいねを求めたり、フォロワーの数や再生回数を競ったりという人気の獲得競争における序列でだ。
もちろん数字だけに目を向けるとピラミッド構造のような序列を示すのだろうが、実際にはある一定レベルを下回れば、序列上は全く同じ扱いを受けてるのではないだろうか。
この人気の序列と持ってるお金でつく序列も似てるのかもしれないと思えてきたのだ。
ピラミッド構造の場合、序列は相対的なので一目瞭然になる。
自分の位置付けが容易なので露骨に振り回されるようになる。
一方、文鎮構造の場合、序列は分かるようで曖昧になりがちなために目標が定めづらくなる。
つまり、相対性に関心が強い人はモチベーションの維持が課題になり、逆に自分のマイペースが大事な人にとっては雑音が減るので心が穏やかでいられることになりそうな気がする。
時代は静かに文鎮型の構造にシフトしてるかもしれない。