違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

不思議な国日本?

20世紀の日本では、外国人といえば欧米人をイメージしただろう。

 

東洋系の外国人は、見た目が近いせいもあり、あまり外国人という見方をしてなかったように感じる。

 

 

21世紀に入ると、なんとなく一過性の動きに感じられていた中国人の爆買いが定着していた。

 

当初は雰囲気を壊す場違いな客扱いだったのが、あっという間に上得意客になっていた。

 

そういう報道を見ていてもわたしにはピンとこなかったのは、多分ブランド品に縁がないからだ。

 

 

自国内でもそれなりの都市だとどこにでもブランドショップはあるはずで、そんな中から日本を選ぶ理由はなんなのだろうか?

 

 

銀座最大級の商業施設「GINZA SIX」で大量閉店 1月17日に14店舗が一斉撤退 1/19(火)

GINZA SIXは17年4月にオープンした銀座地区最大の複合商業施設。松坂屋銀座店の跡地を利用しており、オープン当初は241店舗が入居していた。

 

 

2017年、百貨店不況が叫ばれる中でオープンした銀座シックスは、当初からターゲットは日本人ではないといわれていて、外国人富裕層観光客のインバウンド需要が目的だとされていた。

 

そのせいもあるだろうが、Twitterを検索すると、『銀座シックス入りたいけど入りづらい』という声が異口同音に多数上がっている。

 

 

今がコロナ禍であることを差し引いても、日本人にも支持されていたらGoToもあったことだし、こうはならなかったのではと感じられるが、日本人には馴染めない施設が銀座シックスなのかもしれない。

 

だとすると、日本人にとってはありがたみがないが、外国人にはありがたい何かがあったのだろうか?

 

外国にはなくて日本にあるものが目的なのだろうか?

 

世界遺産的な存在が目的ならば東京ではなく京都の方だろう。

 

 

 

あるとすれば、たぶん目に見えるものではないかもしれない。

 

そう考えていて思い浮かんだのが『お・も・て・な・し』だ。

 

東京オリンピックのプレゼンテーションは、日本人にはあまり響いたようには感じられなかったが、外国人には響いたのかもしれない。

 

 

ところで、日本人にとっての外国人という存在はインバウンドに関してだけではなく、他のことと同様に格差に満ちている。

 

 

つい最近次のような記事が出ていた。

 

外国人なしでは「街がなくなる」国際競争、被災地に試練

「移民政策」のゆがみが東日本大震災の被災地に影を落としている。人口が減り、働き手の外国人頼みが強まっている。いまの仕組みでは定住を促すのは難しく、コロナ禍がもろに響く。そんな状況は、日本全体の縮図でもある。

 

 

働き手として日本に来る外国の方にとって、日本に来る理由とは何なのだろうか?

 

とても『お・も・て・な・し』があるようには感じられない。

 

騙されているのだろうか?

 

選択肢が日本しかないのだろうか?

 

知識不足、下調べ不足のせいだろうか?

 

 

インバウンドであろうと働き手であろうと、どちらのタイプの外国人も今の日本には寄ってこないのは、コロナのせいだと思われてるが、どちらのタイプも、日本人が担えない市場や担いたくない市場を穴埋めするような存在なので、遅かれ早かれ日本人と同じ反応をしてもおかしくないはずと思えてくる。

 

このようなことを考えていたら、日本人と外国人の違いとは何だろうかと思い始め、思い出したことがある。

 

この場合の日本人とは、国籍や出自に関係なく日本で生まれた人で日本語を話す人全てを意味する。

 

世界で、虫の音を認識できるのは日本人とポリネシア人だけだという話。

 

それ以外の国の方にとっては、虫の音は騒音や雑音との区別が付かないらしい。

 

虫の音に風情や情緒を感じることは誰にでもできることではなさそうなのだ。

 

 

もしかしたら、『お・も・て・な・し』と虫の音には共通点があるのだろうかと思ってしまった。

 

虫の音を楽しめる日本人は、外国人にとって不思議な存在であり、謎に満ちた、どこか分かり合えない存在なのかもしれない。