情報の陳腐化の速度がとてつもなく速くなってるなかで、週刊文春は一人頑張っている。
一週間に一度しか発行しない情報が、スピードが売りの他のメディアを圧倒している。
それが可能なのは、情報はただ速ければ良いってものではないという点をしっかり押さえているからだろう。
必要な要素としては次のようなものがあると感じてる。
- 人間の好奇心やゲス心を煽るネタとしての大衆性
- ネタの希少価値や独自性
- ネタに対しての詳報性
さらにいうと、ネタの陳腐化や飽きの原因に、上記の要素を意識していたとしても、企画されたものであれば、ほとんどのものが予定調和を避けられないということも関係してるはず。
事件やハプニングは本来、予定されたものでもなければ、企画されたものでもないからだ。
このように考えていると、効率的な歩留まりを意識した時に、純粋な事件やハプニングと、企画された予定調和の中間に、誘導されたり、仕掛けられたり、というエサや罠という存在が見えてくる。
男女問題に関しては、美人局やハニートラップという古典的な仕掛けものがあるが、ターゲット以外は役を演じているだけなのだが、ターゲットだけは台本や筋書きがないワクワクを感じているのだ。
もっとも、この場合、ターゲットが最終的にどう動くかは台本があったとしても、どうなるかは分からない。
結果的に、誘導や仕掛けは当初の予定通りに機能しようがそうでなかろうが、予定調和を越えるのは間違いないが、空振りだってあるはずだ。
少年時代に読んだ推理小説に出てくる探偵という職業に興味を持った人も多いだろうが、週刊文春の取材はどのように行われているかを想像すると、探偵のイメージと重なる。
さらに探偵のイメージを膨らませると、企業の信用情報を収集する人たちにも通じる。
倒産につながるような予兆をいちはやく掴んだりするためには、相手の懐に深く入り込む必要がある。
そういう意味では、産業スパイと呼ばれる人種にも通じるだろう。
上記であげたことはすべて商品としての情報に関してで、情報の入手には金額を設定しての売り買いもあるだろう。
また、怨みや復讐、嫌がらせという理由で、陥れたい人物や組織に不利な情報を取引に使うということもあるだろう。
情報に関しては、いつの時代でも、本当かガセかが問われるが、多くの人が信じるならばガセだって一定の効果は発揮する。
情報格差といわれる場合の格差は、情報を入手出来るか出来ないかの格差だと思いがちだが、それよりも入手した情報をどのように解釈し生活に役立てるかといういわゆるリテラシーの格差の方が重大なはず。
このように考えると、格差の中心には自己責任が見えてくる。
リテラシーというワードの認知とリンクするように広まった考え方に生涯学習というのがある。
情報には旬という限定された賞味期間があるように思われてるが、それよりも、絶えず解釈をリニューアルする必要があると捉える方が相応しいのかもしれなくて、そのことがリテラシーや生涯学習に通じるのではと思えてくる。
新しい情報ばかりを追い求めていると、既報のものには興味を失い、その解釈のリニューアルもしないだろう。
最も新しい情報が、実は過去のリニューアルであった場合に、そのつながりや関連に気付けないとすれば、もったいない話。
同じ情報を入手しても、解釈が違えば、次に取る行動は違ってくる。
この繰り返しで人生を重ねていくと、同じ情報を入手してるはずでも全く違う人生になるだろう。
一度覚えたり、身に付けたことを、リニューアル出来ないかという視点で見つめ続けることは、無闇に新しい情報を入手することよりも意味があるように感じる。