違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

『調整』によって違うゴールに向かうという落とし穴

モヤモヤした視界を急に晴らしてくれるようなことばに出会うことがある。

 

分かってて当然のことが分からずにモヤモヤしてるような場合だ。

 

わたしは、思い描くゴールが同じならば、出発点の違いは関係ないと思ってしまうタイプだからだろうか、なかなか腑に落ちないことがあった。

 

そんなモヤモヤを晴らしてくれたのが、

 

 

 

 

日本では、コンサルは搾取をするだけの存在と思われがちだし、わたしもそう思っていたが、コンサルを搾取に向かわせているのは依頼してるお客のせいで、その諸悪の根源が根回し等の利害調整を出発点にすることなのだ、と今さらながら気付いた。

 

利害調整からスタートするとゴールが見えなくなるのだ、あるいは利害調整なきゴールは机上の空論にカテゴライズされるのだ。

 

ただ、コンサルも学習し、今では利害調整に主眼を据えた方が自分たちが楽であることにも気付いているだろうが、向上心が高い人には耐え難いはずだ。

 

 

 

そうして発案者が描いたゴールとは違うものがゴールとして設定されるのが、やることなすことガラパゴスになる日本の特徴につながるのだろう。

 

今まで持っていたバラバラな知識が、ジグソーパズルのピースがハマるように噛み合った気がして、なるほどなと思えて気持ちいい。

 

 

 

アプローチの出発点で想定していたゴールは、立場の違いだけでなく経験や体験も加味されながら変化する。

 

次の話は日本に限った話ではないはずだ。

 

 

 

このツイートのような行為の繰り返しが、出発点は真実だったとしてもゴールが捏造やフェイクや陰謀論につながるのであって、多くの場合奥深い悪意から生まれてるのではなく、ちょっとした調整のつもりから生まれてるのだ。

 

 

一般的には、軸がブレないようにと行うのが調整のはずだが、調整されることで軸がブレてしまうというパラドックスが起きるのは、人間の欲というそもそも軸を持たない生理的本能的な反応をベースにしようとするからだ。

 

イノベーションが起きるのは調整を拠り所にするような場からではなく、たった一人のカリスマの横暴とも言えるリーダーシップが機能する場だと改めて気付く。

 

もし、目指すものがあり、それが一人でできることならば、余計な調整はしないほうが良いのかもしれない。

 

調整に当たる作業は、一旦ゴールを達成した後の改良や改善に置き換えた方が賢明かもしれない。

 

そういえば、日本の得意芸は欧米で作られた技術の改良や改善であって、世界に通用する最初の大元を作ったりしたことは無かったのではないだろうか?

 

わたしが知らないだけかもしれないが。

 

日本に関する限り、本当にやりたいことがあるならば、一人で始めなければきっとゴールは違うものになる。

 

なんか違うなという違和感は、調整が生み出しているかもしれない。

 

 

調整するということの弊害は、ことわざにもなっている。

 

船頭多くして船山に上る

 

 

世の中には、知っているのに気付かないことがたくさんありそうだ。