ビジネスの世界では『生産性』というワードが流行っている、流行りすぎて陳腐化したようにも感じられる。
GoogleTrendsで推移を見ると、
このグラフの動きからだけでは、何らかの傾向が感じられるような気がしない。
では、生産も併せて比較すると、
指し示す範囲が広いことを考慮に入れても、生産性と生産は巷ではきちんと区別されてるようには感じられず、むしろゴッチャにされてるような気さえしてくる。
では、生産や製産の反対語である消費はどうなのかと併せて比較すると、
何だかこのグラフだけを見ると、生産や生産性は消費の添え物に思え、生産性を口にする人が本当に言いたいことは、消費に関してなのだろうと透けて見える気がする。
表現の仕方に違いはあっても、たぶん似たようなことを指摘してるのかもしれないという話は検索すると出てくる。
あらためて「インスタント」じゃないものをつくっていきたいなーって思って、対義語調べていたら、最所さんのこの記事が出てきて、『インスタント消費』の対義語に『知性ある消費』を置いていて、そうだよなって思った。https://t.co/iYSLQl9cVs
— 櫻田潤🎨VISUALTHINKING (@jun_saq) 2020年5月31日
「生産」の次には「着る」「食べる」「住まう」「遊ぶ」「使う」「聴く」「観る」…と生活の営みが続くはずなのに、使ってなくなるという一つ切り口で括ったときに「消費」が対義語になるだけなのを拡大解釈して、消費という言葉に拘るのは大切な感覚を見落とす元凶な気がする
— imm (@Abranorusake) 2019年7月8日
別の表現をすると、世の中は買いたい人よりも売りたい人の方が多いということなのだ。
小売の世界で、一世を風靡した企業が衰退に転じるときには、何でもあるけど欲しいものだけがないなどと揶揄される。
少し前までは、ショッピングモールが出来ると、地元の地域の商店や商店街が衰退すると言われていた。
そして、最近ではモール内格差が広がり出しているという指摘も増えている。
実際に、大勢の人が訪れているモールの中で歯抜けになったように閉店してる店舗を見ることは珍しくない。
流行してるはずのIT界隈でも、事業から撤退するという話も珍しくない。
生産や生産性を課題に挙げる人や企業の最大の関心事は生産に関することではなく消費なのだ。
生産や生産性を議論の入り口にすると、志やコンセプトを語りたがるが、本音は消費に関してで、結果を得るために時間をかけたくないので、売れさえすればあとはどうだって構わないのだ。
消費者から見ると、そういう隠してるつもりの本音はなぜか透けて見えるものだ。
だから、品質やプロモーションの問題というよりも、魅力の欠如が原因で売れなくなる。
同じようなことは人間にも当てはまるはずだ。
魅力がないものや人は、金太郎飴化する。
魅力がないものや人は、違っているはずなのに同じに見えるのだ。
あらゆる分野で簡単にコピペができるようになったことで、ありそうで無くなったのがオリジナリティ。
こうなると、手作りや手作業に活路を見出すしかないのだろうか?
手作りや手作業をザックリとひとことで括るとアートになるのでは感じた。
そこで上記のGoogleTrendsの比較にアートを加えて比較すると、
こういう比較は意味が無いと言えばその通りで、消費と検索されるものの中には消費税が多かったり、アートの場合だとゲームやアニメや小説などのタイトルの一部にアートと入ってるものも含まれているからだ。
それでも、記憶に残るワードは思考に影響を及ぼすことは十分にある。
真似するつもりはなくても金太郎飴化する現代では、違うということに価値が芽生える。
手作りや手作業で行われると、設計図が同じであっても、最後の出来上がりには作った人の個性が現れるだろう。
ほんのちょっとの違いが大違いになる。
機械化自動化モジュール化で大量生産されるものは、一つ一つのデザインは違っているはずなのに、なぜか全部同じに見える、つまり個性がないのだ。
無理に違いをアピールすることが生産性の追求には感じられるが、違いは個性として成立する必要がある。
そういう意味では、アートの時代なのだろう、岡本太郎さんを思い出す。