世の中では多様化が進み、それと同時に起きる出来事のジャンル分けの細分化も進み始めた。
分類の基本は5W1Hになるはず。
- When(いつ)
- Where(どこで)
- Who(誰が)
- What(何を)
- Why(なぜ、どうして)
- How(どのように)
お馴染みのYahoo!のトップページに出るニュースでは、
ご覧のように最初に『ニュース』とジャンル分けされてるが、これは右側にさらに細分化されたジャンルの中からYahooなりに見繕って選別したものが載っている。
正味のジャンルとしては以下の7つに大別されている。
- 経済
- エンタメ
- スポーツ
- 国内
- 国際
- IT・科学
- 地域
ニュースアプリのスマートニュースではカテゴリーとして以下のように28のジャンルが設けられている。
そしてさらにそれぞれのカテゴリーが細分化されていて、『社会・政治』は24に細分化され、『エンタメ』だと57に細分化されている。
当然ながら、取り上げている事件や題材やテーマは同じだったり、関連し合っていることは珍しくない。
同じ出来事でも解釈や切り口が違えば、別の独立したニュースとして成立するし、全く同じ内容や転載も少なくない。
情報を発信する媒体同士はライバル関係であるとともに、相互に依存しあっていることも感じられる。
一人一人がカメラを携帯し、街や住宅地まで至る所に監視カメラが設置され、自動車にはドライブレコーダーが搭載されるようになったことで、5W1Hの一部は曖昧でもニュースとしての価値やインパクトを持つ映像が捕捉されるようになっている。
少し前までだったら、どさくさに紛れて曖昧にされていた出来事が、見過ごしにはできないと認識されるようになってきた。
現代人は、昔の人に比べたらはるかに事件慣れしてるはずだ。
現代人は、不思議なことや変なことは、日常の至る所で起きていることを昔の人より知っているかもしれない。
UFOや心霊写真やネス湖のネッシーのようなものは、きっとネタが不足してる隙間を埋めるように作られていたんだろうなと思えてくる。
映像で補足されるようになったニュースのほとんどは、その価値がジャンル問わずエンタメ要素に依存するようになったような気がする。
事実を知りたいという好奇心よりも、もっとおもしろいことないのかなという要求に応えられないと興味を持ってもらえないから。
だからと言ってもっとおもしろいことなどそう簡単に見つかるわけではない。
そこでカテゴリーやジャンルの細分化が起きたように感じられる。
細分化するほど専門性やマニアック度が高まるような錯覚が生じやすくなる。
錯覚は、独り善がり的で酒に酔うようなものが連想される。
つまり、細分化されたジャンルのニュースに浸っていると、酔いが回りやすくなるのだ。
ちょっとした変化で構わないから新しい情報が欲しくなる。
やがて、ほんのちょっとした違いに大きな意味があるように感じられるようになり、その継続性がないと酔いが覚めやすくなるのだ。
細分化された情報に浸ることで見失いがちなのが、大所高所からの俯瞰的視点。
上から目線とは全く別物(念のため)。
俯瞰で見ると、バラバラに起きてるように見える出来事の根は、本当は繋がっていると、気付けるかもしれない。