違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

コンパクトシティが増えると、市街化調整区域も増える

未来を描くことは拡大をイメージすることだったのが昭和ならば、令和は縮小をイメージすることになるのかもという話。

 

少子高齢化といわれて久しいが、将来人口の減少が始まるという声は30年前からあった。

 

実際に減少し始めた元年は2005年といわれるが、そうなる兆候は出生数の減少が続き始めた頃から指摘されていた。

 

しかし、日本での都市計画やビジネスは拡大を基調としたものから修正されることはなかった。

 

最近一部でコンパクトシティとしての富山市が注目されている。

 

人口減少を踏まえて都市計画のコンパクト化を図りながら成長も見込める都市計画の中核に電車を活用したのだ。

 

 

 

富山市は、理想とする成功モデルとされている。

 

人口が減少すると、拡大基調の中で整備されたインフラである、道路、橋、水道、下水、その他諸々の維持管理が困難になる。

 

だから、必要最小限のインフラ整備で済ませることができるかできないかは、ほぼすべての日本の地方自治体にとって重要な課題になる。

 

特にコロナ禍で住民に独自の給付を実施した自治体の中には、気が付いたら財政再建自治体寸前という自治体がいくつも当初の予定を超える勢いで増えてるらしい。

 

そうなると、築いたインフラが重荷になるのだ。

 

具体的には、都市の中心部から離れれれば離れるほど、平地より坂のある土地ほど負担になる。

 

人口拡大、世帯数の増加を見込んで都市から郊外に拡大し続けた各種の開発が負の遺産になるのだ。

 

富山市は、そういうことを見据えて電車という先行投資をすることで無用な拡大を抑制し、その後の別の余計な出費を大幅に抑制できているらしく、今更ながら富山市に見習おうとする自治体が増えてるらしい。

 

これ以上の都市計画の拡大を望まない自治体は、開発できないようにするために市街化調整区域へ用途変更する土地を増やしている。

 

そんな自治体の対応は、ビジネスを拡大させたい側からすると嫌がらせや自治体としてのやる気のなさに見えるかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

これからコンパクトシティというコンセプトは当分続くだろう、日本では。

 

これは、拡大は目指さずに縮小を目指すということ。

 

縮小するけど、より豊かにを、追い求めることへのシフトが起きるのだ。

 

ベクトルが変わることであり、パラダイムシフトが起きることでもある。

 

 

 

 

 

 

コンパクトシティ化の推進に当事者として直面する方の思いは複雑だろう、それは資産や財産だと信じていたものを負債だとされるようなものだから。

 

 

このような流れに乗るのか、それとも抵抗するのか、まさに見識が問われている。