違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

中止に向けてキャズム越えする2020東京オリンピック?!

ちょっとした流行が、さらなる普及をして定番になったり、必要不可欠になったりする手前に立ちはだかるのがキャズムと呼ばれる壁であり落とし穴だと説くのがイノベーター理論。

 

キャズムなどと定義されるとアカデミックな雰囲気が出るが、現実に即して考えると時代とともにキャズム自体が変質してるかもしれない。

 

 

2021年の年明けと同時にあんなに流行ってるかに見えたclubhouseだが、ブームは2ヶ月だった。

 

Google Trends『clubhouse』2021/1/1以降

 

clubhouseにとってのキャズムとは何だったのか?

 

 

 

キャズム自体が時代によって変質してるのかもしれない。

 

 

10年前の指摘で次のようなものがあった。

 

 

 

 

ファッションの流行などでは全く関係ないアフターサービスやサポートが不可欠だとの指摘で、改めて考えると昭和の日本の家電が世界を席巻できたのはこれが理由だと考えると納得できる。

 

しかし、製品の付加価値を高めたことがヒットの秘訣だと捉えてしまったのがその後の敗因だと考えると、これまた納得できる。

 

このような流れの場合、ヒットするものやキャズムを突破できるものは、『〇〇はここが良いよ』とクチコミされることが想像できる。

 

 

それに対して、最近の風潮で顕著になってるキャズム突破の障害は『〇〇はここがダメ』という指摘が増えることだ。

 

 

 

 

キャズムを突破できない場合、何かが足りないからと理由を求めがちだが、足りないから突破できないとは限らない。

 

お金を払っての広告宣伝が力を持っていた時代から、実際に使った人のユーザーレビューに評価の軸がシフトしたからと言えるし、ユーザーレビューを金で買う動きや、レビュー自体が作り話ということも増えていて、売るためにライバルや強豪の悪口を言うという戦術や戦略があふれているからとも言える。

 

 

 

 

興味深い図があった。

 

 第1章【問題提起】91%がキャズムを乗り越えられない時代の到来 

 

 

賢いつもりでレビューを分析するのは、上記の図で言うとキャズムより右側の層で右側に移れば移るほどレビューを読み解く能力が低下するはず。

 

 

キャズムが変質する背景には、人の分布の変質が関係してるのだ。

 

分布のパーセンテージは全く違っているかもしれない。

 

 

 

イノベーター理論は、流行や普及のプロセスを示すものとして生まれた考え方かもしれないが、次から次に新しいものが登場してはあっという間に消えていくを繰り返すうちに、プロセスを示していたはずのワードが人間としての属性を示すワードに質的に変化させたように感じられる。

 

こうなると、流動性が減少し、固定化が進むはずで、これはこれで格差の固定化だろう。

 

先進的な人は常に先進的で、遅れてる人は常に遅れてるようになり、ほどほどやそれなりの人は常にほどほどでそれなりで、下克上の発生頻度は激減するだろう、もちろんゼロではないが。

 

 

怒りっぽい人が増えているのは、固定化された属性から抜け出せないジレンマのせいかもしれない。

 

 

 

多様化の時代でもあるので、固定化されると言っても様々な軸がある。

 

 

 

 

「劇的にまずい」レッドブルが大ヒットした理由 ローリー・サザーランド:オグルヴィUK副会長

 

この記事の最後は次のように締め括られている。

 

事実、贅沢品の支出の大半はこのようにしか説明できない――人々がお互いに自分を印象づけることを求めているか、自分を自分に印象づけることを求めているかのどちらかなのだ。ほぼすべてのものが、気分を変える物質ではないだろうか?

 

 

わたしの脳内で、この記事がなぜかキャズムと結びついて離れなくなった。

 

 

気分を変えることがキャズム突破の決め手なのかも?

 

 

 

さて、キャズムをキーワードにいろいろ書いたが、こんなことを書いてみようかと思ったのは次の記事のせい。

 

 

 

バッハ会長、5・17来日見送りも 米紙は痛烈批判「ぼったくり男爵」 IOC委員は「開催国を食い物に」

昨秋以来となる今月17日のバッハ会長の来日については「見送る可能性はある」という。広島県内での聖火リレーや、開催2か月前の会場視察などが目的となるようだが、今後に4都府県での緊急事態宣言の延長が見込まれることもあり、「来れば国民感情を逆なでする。口を開けば集中砲火を浴びる」と懸念した。

 

 

東京オリンピックに関する気分も、ここに来てキャズム越えをする気配が感じられる。

 

 

もちろん中止に向けてのキャズムだ。