違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

イノベーションよりコロンブスの卵!

今日5月30日に、見覚えがある文言がTwitterのタイムラインを流れているのに気付いた。

 

 

 

 

文言が同じだと思ったから、同じ写真だろうなと思っていたが、確かいいねかリツイートをしたはずだと思い、遡ってみた。

 

 

遡ると、リツイートしていて、初めて見たのは4月の24日だったと分かったが、おもしろいことに文言は同じだが別のものだと分かった。

 

別のものというよりも、コピーが活用されてると言った方が良さそうだ。

 

もちろん同一の店に複数の表示がされてる可能性もあるが、お上に唯唯諾諾と従うのは嫌だという気持ちを実にウィットに富んだ方法で倍返しするかのような気持ちが広がってるように感じられて悪い気はしなかった。

 

 

 

 

これらのツイートにはマジレスもあり、この場合の罰金は売上として経理処理するのか、それとも雑収入とでもすべきなのかや、酒の仕入れは経費になるのかなど。

 

 

 

そう言えばと気付いたことがある。

 

 

理不尽なルールでも、ルールに従わない人を見ると、腹が立ったり不快な気持ちになってしまうことはよくある。

 

自分がその立場だったら同じことをするかもしれないと思っていても、腹が立ったり不快な気持ちになったりする。

 

自分の心の狭さのようにも感じられるし、一種の矛盾にも感じられる。

 

 

しかしツイートのように、一休さんのとんちのように返すと、とても気持ちが良いし拍手を贈りたくなる。

 

ただルールを破るだけだと嫌悪を感じても、ルールの破り方に愛嬌のある知恵が感じられると、途端に許容範囲に収まってしまうのは不思議に感じられるが、これって日本人的なリアクションだなとも思える。

 

少なくともわたしのDNAにはそういうメンタリティが受け継がれているなと実感できる。

 

 

大事なことは、ルールを破る場合にはとんちと愛嬌がセットで両立してることだとも感じられる。

 

とんちと愛嬌がセットで両立してれば、自ずと節度も保たれるはず。

 

 

突然、日本のガラパゴス化は法治の結果かもしれないと思い浮かんだ。

 

 

厳密な取り決めをすることよりも、臨機応変や良い意味での空気に任せての節度が高度に保たれるようなスタイルが日本人のメンタリティには向いているのかもしれないと感じる。

 

 

 

最近では、新たなビジネスの始まりにイノベーションを求める傾向が強いが、コロンブスの卵の方がおもしろいアイデアはたくさん湧き出るように感じられる。

 

 

コロンブスの卵は、マイナーだから成立する。

 

 

一人一人が、自分だけのコロンブスの卵を持つことは、壮大なイノベーションに匹敵する気がする。