違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

50年前は、そんなに遠い昔ではない

昨日妙に『50年前』が話題になっていた。

 

どうやらこのツイートがキッカケだったようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

デジタルネイティブな世代にとっては携帯電話やインターネットが存在しなかった時代は想像しにくいだろう。

 

 

この話に触発されて少し思い出したことがある。

 

いつの頃の話かは正確には覚えてない、幼稚園の頃だったのか小学生低学年の頃だったのか。

 

道路の舗装が一気に進み始めた記憶がある。

 

実際には一気ではなく、それなりの時間が経過していたのかもしれないが、記憶の中では一気にだ。

 

デパートがあるような街中は舗装されていたが、そこに通じる道はバス道路であっても少し都心を離れると舗装されてなかった。

 

舗装されてる道路の方が圧倒的に少なかった時代の道路は、でこぼこが多く、晴れの日には土煙が立ち、雨の日には至る所に水溜りが出来ていた。

 

しかし子供心には、ある時期から舗装が一気に進み出し、やがてごく普通の住宅地の中の生活道路も舗装されていた。

 

 

この舗装が一気に進み始めた時期と重なる変化に、アルミサッシの普及がある。

 

木造戸建住宅の場合、ほぼすべての部材が木材で、雨戸も窓わくもすべて木で出来ていたところに、いつの頃からか新築にアルミサッシが導入され始めた。

 

わたしの子供心には、アルミサッシは文明開花を感じさせるものだったし、アルミサッシの家イコール立派な家という刷り込みが出来上がって、今でもその思いが脳内に残っている。

 

 

なんだか新しい時代が始まってる気がしていた。

 

 

気付くと、現存する住宅はほとんど全てがアルミサッシになっているが、いまだにアルミサッシを見ると新しいと感じてしまい、冒頭のはいからさんの話とダブってしまう。

 

 

子供心に古さを感じるのが着物や和服だった。

 

ある時期までは正月には老若男女着物を着る人が多かったような気がする。

 

わたしは着物には全く縁がなかったせいもあり、正月に着物を着る人が増えるのは不思議な光景に感じていたが、そういう光景はいつしか消えてしまった。

 

着物が好きな人には寂しいことだっただろうが、興味がなかったわたしにとっては、こうやって敢えて思い出すまで忘れてしまっていた。

 

これらの記憶は、正確さはまるでないが、50年くらい前の記憶として脳内には残っていて、一旦思い出すと、昔の記憶というよりも、ちょっと前の話に思えてしまう。

 

 

小学生の頃、定番の学習イベントとしてあるいはタイムカプセルとして、10年後の自分、あるいは成人した自分に手紙を書くということをやっていた。

 

このせいだろうが、わたしは10代の頃から『10年前』を意識することが時々あった。

 

思い出す10年前は、当初は遠い昔に感じていたが、気がつくと昨日のことのように感じるようになっている。

 

 

1999年に92歳で亡くなられた歌手の淡谷のり子さんは、発言のおもしろさで80年代にバラエティ番組で当時の若者に人気があった。

 

うろ覚えだがこんなことを言っていたような気がする。

 

大人になると時間が過ぎるのが早くなるというテーマに対して、『あなたたち、80歳になると1時間なんて10分よ』という名言を発していた。

 

このフレーズが大学の学食で話題になっていたことを覚えてる。

 

そんなバカなと笑いながらも、どこかで、そうなのかもしれないと思っていたことを思い出す。

 

 

50年前の出来事にさほどの古さを感じてない自分に気付くと感慨ひとしおだ。