探してるものや情報がある場合に、どのような方法や手段を用いるのかを過去に遡って想像してみた。
そうすることで、複雑な現代が少しでもシンプルに見えればと期待して。
過去に遡れば遡るほど、欲しいものとは必要なもので、道具のようなものがイメージしやすい。
どうしても必要ならば、自分の用途に応じて、あるいは入手できる材料の範囲で、工夫して自分で作るしかなかっただろう。
やがて、身近なコミュニティ内で手先が器用な人で作るのが上手な人がいたり、材料の調達が上手な人の存在が噂や口コミで伝わるようになるだろう。
そうすると、自分で作るだけでなく、作ってもらうことも選択肢として生まれただろう。
この流れは時間の経過とともにさらに加速し、もっと上手な人やもっと良い材料を求めるようになるだろうが、それは使用用途と要求水準から生まれる要望で、最初からあったわけではない。
つまり、ありふれた日常生活が試行錯誤を促進するのだ。
さらに時間が経過すると、必要なものの範囲を越えて、装飾や自己表現のためにというジャンルの誕生につながっただろう。
その場合、大きく二つに分かれたはずだ。
欲しいものや作りたいものを設計したりデザインするという作業を自分で行うか、あるいは誰かにやってもらうかの二つ。
このような作業に関しては、過去に遡るほど、できるかできないかの二者択一だったはずだが、情報の伝達や広告宣伝という概念が登場すると、できるできない以外の選択肢が増えることになる。
その結果、現代でいうところのスペックやコストや納期の競争が誕生する。
ここまでは前置きで、話題にしたいのは現代の欲しいはなんだろうかであり、その欲しいにリーチするために人はどうしてるのだろうかという話。
上記で語った過去の流れで、現代でも重要なことは使用用途やデザインや設計だと思える。
これらのキーワードがどう重要であるかは人それぞれかもしれないが、悩みどころはこの辺に尽きるような気がする。
これらのキーワードに関して、作る側や売る側が発する情報は数字に関する部分だけが重要になる、価格や寸法サイズや数値化できるスペックなど。
最も重要なことは、実際に使ってる人がどのように感じているかであり、実際に使ってるのは誰なのかだ。
実際に使ってる人の意見を知りたいだけなら、広い意味での検索で十分だろうが、それが誰なのかも重要な要素になるとSNSに比重が移ってくる。
商業的ではない個人の意見と広告宣伝の境は曖昧になり巧妙化してるが、これって今に始まったことではなく昔から繰り返していたことだと思えてくる。
もの選びの格言に、安物買いの銭失いがある。
誰もが、良いものを安く買いたいと思っているはず。
もの選びの歴史を俯瞰で見ると、良さを決定付けていたのは、当初はスペックだったはず、使用用途が大前提で。
この傾向は現代にも受け継がれているが、その上で最後の決め手はデザインや意匠になっている。
素晴らしいデザイン以外に、オリジナルのデザインや唯一のデザインもありだし、さらに広義なライフスタイルへの影響力も問われていそうだ。
コロナ前、旅行やスポーツ観戦などの体験型の一期一会がこれから伸びると言われていたし、実際に伸びていた。
そろそろコロナ明けをどうするかという話を聞いたり読んだりすることが増えてきてるが、ライフスタイルのデザインがきっと変化するはずだと思える。
ライフスタイルをデザインするだけでなく、ライフスタイルに影響を及ぼすモノのデザインも含まれる。
なにがどう変わるかというよりも、気がついたらなんとなく変わってるという変化だと思える。
気分が変わると体験が変わる、そういう変化が求められるかも。