大阪市で起きたカラオケパブの女性オーナー殺人事件の犯人が捕まった、まだ容疑者の段階だが。
犯人に関する情報や私生活の一部は、検索すれば多数出てくる。
匿名のTwitterアカウントでお店のアカウントとコミュニケーション取っていたことまで明らかにされている。
容疑者は常連客だが、他の常連客から浮いた存在で、他の常連客の間でも『この匿名のTwitterアカウントはあの人(容疑者)だよね』となんとなくバレていたらしい。
女性オーナーは容疑者を嫌っていたが、客として店に来るだけで、出入りを禁止させるほどのことをしなければ受け入れるしかないという弱みを突いていたようだ。
ジャンルとしてはストーカー的なのだが、従来のストーカーが隠れてこそこそ行動したり、一定以上には表立っては近づかないイメージなのに対して、今回の事件ではほぼ毎日目の前に現れていたのだ。
信頼できると思ってストーカーされてることを相談した相手がストーカーだったというドラマを見たことがあるが、あれは実話ベースだったのだろうか?
それに対して、今回は信頼するどころか大嫌いな存在なのに、おそらく警戒心はあっただろうが、客という一線を長期間保っていたことで、有効な対策を打てないという隙が突かれたように感じられる。
ストーカーという存在が世間及び警察から認知されるきっかけになったのが20年以上前の桶川ストーカー殺人事件。
これ以降、事件(=具体的な被害が発生)が起きてからじゃないと動けない警察が、徐々にだが事件を未然に防ぐという視点を持たざるを得なくなった。
理不尽なことに抗うためには賢くなるしかなく、現代だったら法律を味方につけることが模範回答になるだろう。
しかし、それだと急なことには対応できない。
また、法の整備やそれに基づく対応の普及浸透にはかなりの時間がかかる。
法律の盲点やグレーゾーンを突かれたら、法律は味方になってくれない。
じゃあ、どうすれば良いのかは一人一人に課された課題だ。
高校時代にかじった少林寺拳法の開祖宗道臣氏のことばを思い出した。
正義なき力は暴力
力なき正義は無力(無能)
突然発生する理不尽なものに抗う術は全ての人が備えなければいけないのだ。