今朝、次の二つの記事を読んで、それぞれ話題は別なのだが同じ匂いを感じた。
TV業界のギャラ相場に大異変…「中堅タレントはテレ東、ベテランはBS」の背景 キー局は第7世代とYouTuberが席巻
視聴率爆死も…TBS『ラヴィット!』&麒麟・川島明「芸人全員支持」の理由
どちらの記事も一部を引用しても伝わりにくいと感じるので興味がある方は直接読んで欲しい。
記事は芸能界を取り上げているのだが、言わんとすることは芸能界に限らないなと感じられた。
昔ながらの伝統や歴史に立脚して、従事者やお客で構成される市場がそれなりの規模を築き、自然と統一的な価値観とそれに伴った相場観が出来上がる。
歴史が浅くてもほぼ似たことが当てはまるはず。
そんな価値観や相場観から抜け出ようと、あらゆる分野で付加価値を模索したり、いい意味での伝統や歴史の破壊が模索されているのだ。
価値観や相場観に捉われると、大前提の存在には目が向かなくなりがちだ。
一つは暗黙の前提として疑問を持たない存在が、ルールや規則や法律という存在。
もう一つは、最近よく使われるところのプラットフォーム。
これらの大前提には、一般的には適応したり対応することしか出来ず、逆らうことは長い目で見ると得にはならないことが多い。
ビジネスであろうと趣味や遊びであろうと、興味や関心の多くはその分野の価値観や相場観を理解することにしか向かわないのは、それはそれで賢明な処世術で、これが『出る杭は打たれる』に対抗する模範解答だからだ、日本では。
既存の価値観や相場観の中には、裸の王様のようなものもあるが、王様は裸だと最初に言い出すのには現代でも勇気がいるのだ。
もっとも、そんな価値観や相場観に束縛されてる側の人の中にも、自分や周りの人に予定調和を感じると、少々うんざりしたりするものだ。
冒頭で引用した記事は、大前提としてのルールである視聴率の計測が、世帯視聴率から個人視聴率へ変化したことから起きているようだが、芸能界の変化だと見ると結局予定調和にしか感じられない。
予定調和を感じるのは、違いを感じにくいから。
違和感は感じても違いだとは認識しづらいのだ。
そう感じるのは、わたしがテレビや芸能界に対して持ってる価値観や相場観のせいだろう。
新しいことを始める場合は、客も一新するつもりじゃないと難しいのかもしれない。
もしわたしが全く見る気にならないテレビ番組を意図的にそう作っているなら大成功といえるだろう。
一定の客を持ってる既存ビジネスが、新しい何かを模索する場合、従来の客はそのまま引き継ぎたいと望むだろうが、そう望むことで新しさが薄れ予定調和感だけが伝わるかもしれない。
新しいことやってるつもりでも、欲張りすぎると何も伝わらないかもしれない。