オタクということばが生まれて認知され始めた頃のオタクは、なっちゃいけない人、あるいはなりたくない人種を意味していたように感じるが、そんなオタクのイメージはすっかり変わっているようだ、特に若者にとっては。
本日6/22放送「『オタク』は憧れの存在?オタク像に変化、オタクになりたい若者たち」
— 羽鳥慎一モーニングショー (@morningshow_tv) 2021年6月22日
今、若者たちの間で『オタク』が憧れの存在になっています。
従来型のオタクは「オタクであることを隠し、限られた仲間内だけで楽しみ合う」ものでした。 pic.twitter.com/CIE6CXNK0a
現代のオタク論、それも若者が考えるオタク論について書かれた記事をいくつか読んでいると、そこに書かれてることが当てはまるのは若者だけではないだろうなと感じられた。
最近、映画やドラマの倍速視聴が増えてるらしいが、それはコンテンツが鑑賞の対象というよりも、手っ取り早く内容を確認するために便利だからで、数をこなすことで多数の作品を鑑賞してるオタクの地位を得るためで、オタクの地位を仲間内で得ることが人間関係の維持に自信を与えるというようなことが書いてあった。
印象的な表現もあった。
なにやら、「好きな人はいないけど、早く結婚したい」の類いに通じるものがある。あるいは、「今やりたいことはないけど、何かはしたい。だからこのサロンに入会しました」のほうが近いだろうか。
これらの行動も、倍速視聴と根が共通してると考えられるらしいので批判や批評の対象にされやすいが、批判や批評がジャンル問わず若者が嫌うようになっているという指摘につながっていた。
このこととつながる話として興味深い指摘があった。
世界的な傾向として、スポーツ観戦する若者が減っているらしいのだ。
応援してるチームが負けるのを見ることがストレスになるので、試合を見に行って負けた試合を見るくらいだったら見に行かない方が良いらしいのだ。
つまり目的はストレス解消だから、勝った試合のダイジェスト映像や、ファインプレー特集などを後から見るだけの方が良いらしいのだ。
少々極端にも感じられるが、様々なコンテンツがどんどん量産され、それらは次から次にアーカイブとして蓄積されていることを考えたら、限られた時間の中で見るに値するコンテンツの選別をどのように行うかは頭の痛い問題のはずだ。
筋金入りのオタクのように、自分の興味の範疇が明確に規定できてることは羨ましいくらいのセンスであり能力だと思われるのは当然かもしれない。
そう考えると、次の話題も根が同じに思えてくる。
供給者の側が手っ取り早く違法に金儲けするためにやっているという側面だけから見られがちだが、需要側の視点を意識すると、ことの是非以外に注目点があるように感じられる。
【悪質】被害額は推計950億円、YouTubeの「ファスト映画」に法的措置 CODAhttps://t.co/u8XHQadChV
— ライブドアニュース (@livedoornews) 2021年6月22日
ネタバレを含む内容紹介や解説を10分程度にまとめた動画。本編映像などを無断で使用しているものもあることから、事態を重く見た業界団体が法的措置に乗り出した。 pic.twitter.com/0ahj1q1EEj
おそらく対策が行き届いた場合、映画はもう把握したいエンタメ情報から脱落するだけかもしれない。
大量生産される動画コンテンツは見放される直前のようにも感じられる。
「大量生産のNetflix映画はオーディエンス評価高くない」WSJ調査、逆に「量より質」のディズニーが「5ヶ月以上の話題維持」もぶっちぎりなエンタメ王すぎて怖い https://t.co/5FfHorRyXu pic.twitter.com/rHm5AGtgc4
— うまみゃん/辰巳JUNK (@TTMJUNK) 2021年6月22日
オタクという存在が、自分の趣味や興味の範疇をはっきりと自覚できていて、その軸がぶれない生き方を意味するなら、それは情報ばかりが増えすぎる現代には必須な要素なのかもしれない。