集中の反対は気が散る。
一般的には、集中できずに気が散っている状態とは、勉強や仕事をしなければいけない時に、遊びや趣味や他の心配事に気を取られてしまうような状態をイメージしやすい。
つまり、優先順位の処理の仕方を間違うことが気が散ると呼ばれることが多いが、どちらも大事で優先順位が付けられないようなジレンマ状態も気が散った状態になる。
ジレンマには時間軸が関係する。
漠然とした未来に備えるために何を選択し何に集中すべきかと考えるような時間的に猶予がある場合もあれば、瞬間的な判断が迫られる場合もある。
本当は人間には不向きなマルチタスクを求めてしまうのは、二兎を追う者は一兎をも得ずと言われながらも二兎を追いたいからだろう。
マルチタスクをこなしてるつもりで気を散らしてばかりが増えてくると、二兎どころか、常時三兎も四兎も追い求めることだって少なくなくなる。
それが当たり前になると、一つのことに集中してる状態を、一つのことしかできないと過小評価につながりやすくなるはずだ。
たまたま運よくあるいは偶然に、二つ以上のことが同時にできてポイントが稼げたりすることばかりが評価の対象になると、再現性はどんどん低下するだろう。
逆にいうと、希少価値が増すのだろうか?
本当のジレンマは、複数の課題を同時処理することではなく、課題を分けて処理するべきなのにそれが許されないことにある。
どちらかを選べないことで、両方とも中途半端になるのだ。
そんな時は、「そんな話はいらん」と言えたら気が楽になるのだろうか?
「そんな話はいらん」林眞須美死刑囚、“関空連絡橋から長女が飛び降り”一報への肉声
いまだに冤罪説も一部であり真相が明らかになったとは言い難い面もあるが死刑囚となり、さらに新たな重荷を背負わせられる予感から思わず口をついて出た言葉だと思うと、図太い性格のイメージとは違ってナイーブさが感じられる。
Twitterでマルチタスクについて拒否反応を感じてる人はどんな人たちだろうかと検索すると、学校の教師が少なくないのだ。
共通してるのは、教師としての仕事と部活の顧問のマルチタスクがかなり重荷のようだが、皮肉なのはそんな状態でもTwitterはしてるのだ。
マルチタスクにも様々ありそうで、自分の中であれもこれもと欲張ってることもあれば、自分のやりたいこと以外のことを背負わせられている場合もあるようだし、中には自分自身がやりたいわけではない事ばかりを背負い込んでるケースもあるだろう。
あれもこれもと望みながら、全てが中途半端というのが現代人の特徴なのかもしれない。
自分で調整がつかないマルチタスクが厄介だ。
だとすれば期待されない生き方をするというのも一つの手かもしれない。
一つのことしかできません、それ以外の話はいらんと。