自由について考えていたら、昔の関所が思い出された。
昔は行きたい場所に行く自由は当たり前ではなかったのだ。
支配する者がその支配を強固にするために設けるのが関所だったが、それは自由を恐れたからとも言えそうだ。
では翻って、一定の自由が保証されてる現代の関所とは何になるだろうか?
そういえば、いろいろな分野でひと頃『自由化』がブームだった。
自由化が実現すると競争が起きるようになる。
ごく一部にのみ参入が許可されていた分野が解放されることで、プレイヤーが増えると自然に競争が起きるのだ。
このように考えると、自由化前の状態では関所の役目は競争させないことだったといえそうだ。
自由化と呼ばれたわけではないが、結果的に自由化と同じことが起きたこともある。
こちらは、むしろ革命と呼ばれてるくらいだ。
新聞テレビはネットの登場まではずっと情報のボトルネックを抑えて、関所商売をしてきたから、その利権を手放したくないんでしょ。ニュースソースが海外にある場合も日本のマスコミのフィルタを通したくてしょうがない。それまでろくな取材もしないで外電の受け売りばっかりやってたのがバレちゃうし。 https://t.co/PHZBD65hAf
— kaz hagiwara(萩原 一彦) (@reservologic) 2016年11月23日
現代風に言うと、関所はボトルネックと呼んだ方が相応しそうだ。
最近、地震や台風や大雨などの自然災害が甚大になっているが、このような時に深刻なダメージを受ける部分もボトルネックに該当しそうだ。
川にかかる橋が一本流されるだけで、その橋の周辺の生活は大きく変わるし、その橋に近い別の橋も需要が変動することで不都合が起きるかもしれない。
私たちの生活の身近には見えないボトルネックがたくさんあるのだ。
見えないボトルネックに気付くことはリスクマネジメントと呼ばれる。
ごく当たり前の日常生活がプランAならば、リスクマネジメントはプランBやプランCを準備することになる。
コロナ禍でテレワークが注目されてるが、ここにもさまざまなボトルネックが存在していて悲喜交交を生んでいる。
大きく二つに分かれる。
- コミュニケーションの質
- 通信品質
コミュニケーションに関してはだいたい予想通りで、テレワークであろうとなかろうと残念な人は残念なまま。
意外と気付きにくいのが通信品質。
コミュニケーションの問題だと思っていると実は通信品質の問題だということも多い。
問題点は共有されても、解決の道筋は共有されない。
この場合、ボトルネックの本質は結局共有されないことになる。
さて、今が旬のコロナワクチンにもボトルネックはある。
アカデミックな議論を好む人だと需要と供給を巡っての情報の発信にボトルネックがあると捉える傾向が強いが、接種するしないの判断の分かれ目もボトルネックになるはずだ。
反ワクチンなどと呼ばれる層の人達は、その人達なりに合理的に考えているのだ。
合理的に考える中には損得勘定も含まれるし、もっと別の理由だってあるだろう。
自由について考えていたら不自由なことばかりを考えていた。