一流のスポーツ選手が、ここぞという時に意図的に決まった動作を行うことはルーティンと呼ばれる。
英語ではroutineとなるが、由来はフランス語で、固く踏みしめられた道のことらしい。
良い結果が出せるアスリートが決まってやってる行動だと、実際にはただの縁起担ぎや習慣というだけでも、世間は勝手に深いい意味を感じ取り自分も取り入れたいと思ったりする。
評価されるルーティンは、自分を律してるように感じられるが、そのようなもの以外のルーティンの方が世間には多く存在してるのではないかと自分自身を観察してそう思う。
律した結果取ってる行動というよりも、気がついたらまたやっていたという行動が多いのだ。
例えば、時間は十分にあり好きに自由に行動して良い場合に実際に何をするかというと、かなりワンパターンな行動だったりを感じることが多いのだ。
車やバイクや自転車で、自由にどこでも行って良いとしても、自分一人で行動すると行き先や目的地は案外ワンパターンになりがちで、そのような時はその行き先や目的地は自分の居場所だと感じられるようになる。
たまに違う場所を目指しても居心地の悪さやここじゃない感があったりする、ということは少なくない。
経験上、自由に好き勝手に行動してるように見える人ほど会話の端々からワンパターンが感じられるのだ。
このワンパターンのあり様はかなり個性的で、仲間で行動するような場合にはあまり出ないのだ。
程度の違いはあれど、誰にでもあるだろう、身近な人は知らない自分だけの過ごし方が。
ことばにすると秘密めいた悪事を感じさせるかもしれないが、実際にはその反対で、どうって事ないありふれた事ばかりなのだ。
余談だが、時間があれば本を読むことはルーティンに加えても良いように感じるが、時間があればスマホやSNSをするというのはルーティンには含まれない気がする。
違いは何かと考えたが、強いていうと心が落ち着くか乱れるかの違いに思える。
ただ、そういうどうって事ない事が心の安定には一役買っている可能性は高いように感じる。
ルーティンやジンクスなど、簡単だけど他人と共有する事が馴染まない事を持ってるか持ってないかの違いで付く差が大きいように感じる。
自分のルーティンに気付いてますか?
他人のことばかり意識してる人は、本来の自分のルーティンには気付かないままかもしれない。