知人でブラインドタッチで入力できることをいまだに誇らしげに語る者がいる。
一種の武勇伝になっているのだ、ブラインドタッチを身につけた頃周りにはそんなことできるのは自分だけだったということがいまだに誇りなのだ。
しかし、その能力を活かせてるかというと微妙なのだ。
この話と、昨年PC市場は活況だったと言われていることが脳内で結びついた。
ボーッとしてるとテレワークのせいかなと思いがちだが、最大の牽引役は文科省が推進する小中学生の一人に一台のPCと通信環境の整備をするというGIGAスクール構想のせいだったらしい。
下記のサイトが文科省のGIGAスクール構想に関するもの。
https://www.mext.go.jp/a_menu/other/index_0001111.htm
日本の存在感が世界の中で低下する理由の一つとして最近言われることにPCを使わない人が増えているからと言うのがある。
家庭にPCがない子供はきっとPCを使えない大人になるであろうということを危惧したからこそのGIGAスクール構想なのだろうが、たぶんこんなことしてもPCを使いこなす子供が増えるきっかけにはならないだろう。
PCを使いこなす子供は、教わるから使いこなせるのではなく、使いこなす必要性が最も重要で、それがなければ動機が生まれないからだ。
ブラインドタッチで入力できるようになっても、あるいはオフィスアプリを使いこなせても、自分が表現したいことがなければ他人の言いなりになるしかないのだ。
もっとも、PCが全く使えなければ言いなりで働くこともできないから無意味ではないかもしれないが…。
手に職をつけることに脚光が当たるようになっている、この場合の職には資格も含まれる。
最近では、マッチングという仲介を経ての出会いが職だけでなく、趣味や恋愛でも主流になりつつあるように見える。
マッチングと呼ぶと確かな響きが伴うように感じるが、実際には占いと大差ないように感じてしまう。
以前、各分野で問屋業が衰退するのを見て中間搾取業の時代は終わるなと思っていたが、今や周りを見渡すと形態こそ変わったが、新たな中間搾取システムばかりになってるように感じられる。
ネットなどオンライン上では中間搾取の存在を感じづらいが、今やオンライン上での中間搾取も花盛りなのだ。