一見無関係なものに共通点やつながりが感じられるとニヤッとしたくなる性格で、以下に上げるツイートにも感じてしまった。
日本の経済統計と転換点
— 小川製作所 (@OgawaSeisakusho) 2021年9月3日
「海外という特異な経済主体」
現在の日本経済から見た「海外」は「政府」と同様に負債を増やす主体のようです。
実際には日本の金融機関や企業の「対外直接投資」「対外証券投資」等による負債が増え、純金融負債で約360兆円にのぼります。https://t.co/Yhe9VhcXRI
投資とは、お金を使ってお金を増やすこと。
増えることが正義で、ただそれだけかもしれないが、そのために展開されるプレゼンテーションは派手で華やかだが実際の味付けは辛めだ。
投資は、『カネは天下の回りもの』という流れを大きく変え、昔はなんとなく見えてるように感じていたが、今やすっかり見えるものではなくなった。
そのようなことが共通点としてあるのではということを次のツイートに感じた。
ジュラシック・パークのみならず「行き過ぎた科学技術は害悪になる」という作品が溢れ、その後追いが溢れて価値観が画一化されてしまったのがSFの衰退の一因かと思ってる。やはり「科学技術の発達は人類を幸せにする」もちゃんと描かれてこそSFだと思うのよね。そういう希望のSFがいまこそ必要だよ。
— 翅田大介@わたし、美少女作家になります! (@DaisukeHaneta) 2021年9月3日
こんなこと出来たらすごいよねということを映像化してリアリティのある演出を加えると、なぜかハッピーエンドは似合わない。
カネの流れと同様に、科学技術やテクノロジーは一体どこに向かおうとしてるのか。
やられたらやり返す攻撃に「無人機」が導入される世界の未来は。。。考えると暗い気持ちになる。テクノロジーを戦争、殺害に使ってはいけない。
— 小池よう子 (@setouchiyoko) 2021年8月28日
思えば、推理小説なども昔は謎解きや犯人探しが最初は楽しみだったのでトリックなどが重要だったが、社会が成熟すると、事件の動機となる出来事の描き方や心理描写が巧みじゃないと楽しめなくなり、複雑な心理描写が求められるとストーリーは自然とハッピーエンドからは遠ざかるようになるものが増える。
求めるものが多くなればなるほど、ハッピーから遠ざかるのはなんとも皮肉な気がする。
実現する未来が、想像する未来より、どことなく暗いことと無関係ではなさそうだ。