違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

出版業界を見れば日本社会が分かる!

日本に限った話しなんだろうなぁと思うツイートが流れていた。

 

 

このツイートに対し、

 

 

 

 

 

民間企業の営業部門で勤務経験があれば、目標と称した根拠不明なノルマを課せられた経験があるだろう。

 

そういう場合、経営陣が根拠不明な事業計画を銀行や親会社に、最近だったら株主にも披露することでご機嫌取ったり、言い訳したりしてるのだろう。

 

時には、その根拠不明な事業計画を基に新規のプレゼンを持ち掛けているかもしれない。

 

 

出版業界では、過剰に編集者にスポットが当たる場合があるが、その才能やセンスは推して知るべしという面も否めないのは、プロ野球のスカウトの選択眼の当たり外れを見てるとよく分かる。

 

つまり、目利きと節穴は紙一重だし、ただの結果オーライに過ぎないとも言えそうだ。

 

選挙における立候補者と有権者の関係もよく似てる。

 

わたしは、消極的な気持ちしかなくても投票は必ずしてたし、しない人は愚かだと思っていたが、今日のブログを書きながら、投票しないという選択肢には複雑な解釈があるなと思え始めた。

 

 

何はともあれ、組織や組織内の事業が動き始めるためには、その前段階には社内の同意を取り付けるための会議やプレゼンが通過儀礼になるが、そんな場に顔を揃えているのは肩書きが立派なだけの節穴ばかり。

 

そういう場合に求められるのは、尤もらしく体裁が整っていることと責任の所在で、勝てば官軍負ければ賊軍。

 

 

日本社会では、責任をトップが取ることは稀であることも重要だ。

 

つまり、プレゼンした側が責任を問われることはあっても、プレゼンを承認した側が責任を取ることは稀なのだ。

 

日本で生きていくためには、その辺は分かっておく必要がある。