『どう?』、と問われて、
『ちょうど良い』、と答える。
こんなやり取りが分野問わず増えたような気がする。
額面通り解釈するとちょうど良いはベストフィットでありジャストフィットを意味するのだが、文脈から判断すると、『高望みしてもキリがないしこの位で満足しなきゃいけないんじゃないの』というニュアンスが強いように感じる。
ちょうど良いは、コスパが良いともよく似てる。
どんなに良くてもこれ以上コストが掛かるならもはや評価できないや、コストの部分を手間暇や創意工夫あるいは頑張りや努力に置き換えても意味は共通する。
コスパと言いつつ、気にしてるのはコストではなく時間だという場合も増えている。
つまり、手間暇や創意工夫や頑張りや努力に振り向ける時間やエネルギーが無いが故に使われるのがちょうど良いだ。
ちょうど良いには、妥協の香りが漂う。
いや、妥協というよりも諦めに近いかも。
だからだろうが、『ちょうど良い』と言う時は明るく元気よく自分に言い聞かせるように使われがちだ、『俺(わたし)は納得してるんだ』と。
街ですれ違ったりカフェなどで人間ウォッチングをしていたりと、『ちょうど良い』という会話は頻繁に耳にする。
時代によって意味が変わることばは珍しくない。
かつては悪い意味にしか使われなかったヤバいは、今や良い意味でも用いられ文脈から判断するしかないように。
全然良くないのにちょうど良いと言う人が増えている。