インスタ映えなど映えという表現は目にも耳にも馴染んだことばになった。
基本的には写真表現に用いられる表現だが、言語明瞭の割には定義不明なところがある。
つい最近まで映えを撮るためにはそこそこ高価なカメラや演出のための機材や仕掛けが必要なのだと思っていて、自分には手が届かない世界に感じていた。
世間の大多数は映える写真歓迎派だと思っていたが、映える派がやっていることはどうやら昔ながらのカメラ愛好家や写真愛好家からは、事実の捏造に近いと批判を受けがちらしい。
“色加工しすぎ” ゼンリン SNSに投稿の紅葉写真 指摘認め陳謝 2021年11月12日
大手地図会社「ゼンリン」がおととい、北海道函館市の五稜郭公園が色鮮やかに紅葉していたとする写真をSNSに投稿したところ「色を加工しすぎだ」などと指摘を受けました。これに対し、ゼンリンは加工したことを認めたうえで「誤解を招く投稿だった」と陳謝しました。
実は、最近ひょんなことからRAW撮影及びRAW現像を知ったことと、所有カメラ(DJIpocket2)にその機能があったこととRAW現像に必要なiPadアプリのaffinityphotoをすでに持っていたことで、撮った写真をさまざまに弄って楽しんでいる。
わたしの好みはとにかく彩度を上げることだとだんだん分かってきた。
その他の調整可能項目も弄るのだが、元の写真とは全く別物で、わたしの目には写真というより絵画のように見えるものほど満足度が高くなることに気付いた。
自分なりにわたしがやってることを検索して調べると、これがどうやら世間で映え加工と呼ばれるものらしいと分かった。
だから上記の記事のゼンリンの社員の気持ちには好意的だ。
加工した写真の方が遥かに気分が良いはずだと共感できるからだ。
写真を元に絵を描いた場合、元の写真と色合いやコントラストが違って雰囲気が変わったとしても誰も文句は言わないはずだ。
むしろ、その違いにこそ個性や感性や独自性が表現されていると評価されるくらいだと思える。
写真加工も同じだと感じる。
上記の記事の場合、反省点があるとしたら会社の看板を背負って発表したことだと言えるだろう、個人の趣味であれば何も問題はない。
写真でも記事でも、それは真実なのかに拘りすぎるとろくなことはない。
表現されるものには主観は避けられないからだ。
そして、主観があるところには意図や企てが入り込むからだ。
自然と表現者の色が付くし時には匂いすら漂うだろう。
何が真実なのかは自分が決めれば良いのだ。