違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

値付けと揺れ動く相場観

新規事業を展開する場合や、

 

独立して何かを始める場合、

 

値付けや価格設定に悩むだろう。

 

 

適正価格はいくらなのかと?

 

 

根拠を求めれば原価を基に考えがちで、

 

アイデアで勝負してる人の中には、

 

それって原価はゼロってことかなと悩むかもしれない。

 

自分事として適正価格について考えると悩ましいが、他人事として適正価格について考えると、適正価格という表現自体が曖昧であることに気付く。

 

つまり、自分が思ったように値付けをすれば良いだけなのだ。

 

新商品や新サービスに対して価格交渉する場合、実績がないことで足元を見るという手法はよく使われる。

 

その名残りが、キャンペーン価格やお試し価格などで、期間限定で安売りしてると示すことだ。

 

あるいは、有名人や有名企業に無償で使用してもらい、代わりに実績としてアピール材料にさせてもらったりする。

 

 

定番の問いがある。

 

主婦業の適正価格はいくらなのか?

 

正解は、いくらでも構わない、自分さえ納得できるなら。

 

 

この問題の場合、本来結婚前から意識し自分の中に答えを持っておけば良いのだが、結婚後に意識し始めるからおかしなことになるのだ。

 

しかも、意識し始める時には関係性も良好とは言えないことがキッカケだったりする。

 

 

値付けや価格設定には、人生観や価値観が大きく関係するのだ。

 

 

 

 

世間の多くにとっては、正規分布といえば受験の時の偏差値だろう。

 

自分は全体のどこに位置してるのかを測る指標だ。

 

人間は似たもの同士でつるむと言われる。

 

同じ職場の人間関係も、仕事に関しては似たもの同士だ。

 

 

つまり、正規分布に照らし合わせると、同じような属性でコミュニケーションを取り合うことが日常なのだ。

 

この場合の正規分布は、偏差値のような成績の優劣ではなく、自分の会社、自分の業界にどのくらい染まっているかが表れる。

 

転職したり、新しい派遣先に行けば、新しい環境に馴染もうとする。

 

それは、周りの人と似たもの同士になろうとすることだ、仕事面に限ってだが。

 

 

そのたびに分布してる位置が変わるのだ。

 

 

値付けや価格設定に戸惑うのは、自分自身の価値が定まらないから。

 

つまり、自分自身の価値に値付けできないことと共通している。

 

 

誰だってそうだろうが、自分なりの相場観を持ってるはず。

 

自分なりの相場観があるから高い安いと反応する。

 

でも他人の相場観は分かるようで分からない、自分と同じだと思って良いのだろうかという点が悩みどころになるだろう。

 

記憶を辿ると20年くらい前のような気がするが、バレンタインデーのチョコを自分用に買うという女性が増えてると話題になっていた。

 

自分で自分にご褒美という需要だと表現していた。

 

普通だったらとても買わない高級スイーツを、ご褒美という名目で買うのだ自分のために、特に何があったというわけでもなくても。

 

バレンタインデーの時期に高級スイーツを買うことで違う意味でのリア充アピールも兼ねていたかもしれないとすると一石二鳥でもあったのだ。

 

男性が趣味にお金を費やす時にも似たような意識を持ってるはずだ。

 

いや、性別は関係ないかも。

 

 

このような場合の相場観はいつもとはちょっと違う。

 

 

個人差は大きいだろうが、相場観にはかなりの幅があるのだ、あまり自覚してないかもしれないが。

 

 

値付けや価格設定について悩ましい時には、お客の相場観は揺れ動くのだということを思い出すと良さそうだ。

 

ご褒美を含めて気分にアピールできるならば、相場観を無視して値付けするという手もありなのだ。