違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

VR普及のハードルやキャズムはアバターにある

次のツイートを見て、今日のタイトルを思いついた。

 

 

会議2と書いてあるので、遡って最初のものも探してみた。

 

 

 

ゲーム好きの中でも先端を行く一部の人を取り込むことに成功してるVRの、更なる普及はアバターの設定にあるなと感じられた。

 

アバターはハードルでありキャズムなのだ。

 

わたしにとってもそうなのだが、世間の多くにも当てはまるのだなと感じられた。

 

それでいて関心はあるのだ。

 

 

VR界隈でも表現は違うが、アバターがキーだとは意識してるらしい。

 

 

 

 

 

ゲーム等で自分自身をアバターとして設定することに慣れてる人はともかく、そうでない人にはアバターの設定は大きなハードルになりそうな気がする。

 

 

別の言い方をすると、アバターを使うというのは、実名と匿名の中間に位置することになるのだ。

 

ゲームだと軽い気持ちでできても、実生活に近い場で使うとなると、例えアバターであっても自分が納得でき、良い意味で感情移入できるものに設定したくなるから。

 

VR界隈では、実名主義のFacebookが実名匿名の境界が曖昧なメタバースに注力するようになったことで、新しいステージが始まるのではと期待されている。

 

期待とは、具体的には投資対象としてだ。

 

VRをテクノロジーと実用性のせめぎ合いだという観点で捉えると、まだまだ全然ダメだという意見も多いが、更なる匿名文化が広まるのかもと捉えるとちょっとした革命に似た変化が起こるかもしれない。

 

実名発信は信用できるという先入観に対し、匿名はいかがわしくて信用できないという意見が優勢だったが、詐欺全盛の現代では実名であってももっともらしく嘘をつくことは日常茶飯事だし、そんな嘘を法律を盾に理論武装するほどなのだ。

 

そういう意味では、実名が担保していた信用や信頼は昔に比べたら薄らいでいる。

 

おもしろいツイートが流れてきた。

 

 

人間はどうでも良いことを信用や信頼の拠り所にしてしまうのだ、最初の判断が間違ってるわけではないが、その反応がステレオタイプになると人間はもはや考えなくなるのだ。

 

今後VRが伸びて来れば、匿名有利の世の中になって行くかもしれない。