12月に入り何かと物入りな時期になりました。
年末の締めに向かうと共に、クリスマスなど盛り上がりや浮かれる気持ちになる時期でもあります。
こんなご時世の、こんな時期だからこそ気をつけましょう。
この世は嘘だらけだということに。
新しい手口から古典的な手口まで、なぜ歴史はこうも繰り返すのでしょう。
梅田でナンパしてきたネズミ講のお兄さんから教えてもらったクソ知識だけど、ほぼすべての銀行の残高画面は誰でもパソコン持ってりゃ一瞬で偽造できるので、絶対に信じてはいけない。
— 岸田奈美|作家 (@namikishida) 2021年11月29日
ネズミ講に弟子入りするとまずこの知識が伝授されるらしい。
合言葉は「残高のスクショを信じるな」や!!!! pic.twitter.com/WCTZhQ5Zjq
札束レンタルサービスというものがあります。
— lizk (@lizk_jp) 2021年10月8日
札束そっくりの紙が届いて、1番上に本物の一万円札を載せるのか手法です。
画像を拡大すると、中央だけ綺麗な札束が並んでいて、1番上のお札は少し汚れていることがわかります。
一度でもキャンペーンに参加すると、詐欺師の名簿に載るようになります。 pic.twitter.com/RuqfCs9Z8a
<参考>
https://event21.co.jp/dis534_dummysatutaba.htm
家族や友人を装うレンタルサービスなんていうのはパーティやイベントの定番だったような気がするが、探すとこんなものが。(記事のリンクは消えてるが)
【NHK番組でやらせ疑惑】
— 産経ニュース (@Sankei_news) 2019年5月29日
家族や友人などのレンタルを行う会社がサービスを行う様子を放送した際に、「利用客」として紹介した男女3人が実際には会社が用意したスタッフだったことが分かったと発表しました。https://t.co/fUR6CHxfyO
ただ騙されるだけではなく、騙してるつもりの側も騙されるのだ、油断してると。
一体何を信じれば良いのか?
現代の情報は、文字だけではインパクトが弱いので、その情報に影響力を付与しようとすると写真や動画の添付が必須。
しかし、その写真や動画はいくらでも編集(≒偽造)可能になった現代では何を拠り所にすれば良いのだろうか?
ところで上記の件に関しては次のような続報もあるが、これは誠意のなせる業なのか、それともタコが自分の足を食べるような特性と通じるものでもあるのだろうか。
NHK国際放送の番組で家族や友人などのレンタルサービス会社を取り上げた際、“利用客”が実際は会社のスタッフだったことについて、BPOは放送倫理の問題がなかったか審議することを決めましたhttps://t.co/8Eu0Kvh4GK
— NHK科学文化部 (@nhk_kabun) 2019年9月14日
レンタルつながりでおもしろいものがあった。
存在は知っていたが、改めて知るとおもしろい。
気をつけなきゃいけないのは、嘘に騙されるということよりも、寂しい心につけ込まれることなのかもしれない。
原点は、心が寂しいことにあるのかもしれない。
「最近誰とも話しておらず感情が死んできてる。少しでいいから話し相手になってほしい」との依頼。感情が死ぬというのは「良いことがあっても『言う相手いないしな』となり、悲しいことがあっても『言う相手いないしな』となり、それを繰り返すうちにそもそも感情を抱くこと自体しなくなること」らしい
— レンタルなんもしない人 (@morimotoshoji) 2021年12月1日
そう言えば、詐欺で騙されたお年寄りが詐欺師のことを優しくて親切な話し相手だと言っているのをテレビで見たことがあったなと思い出した。
意味があるとは思えないがGoogleTrendsで『寂しい』と検索してみた。
これは『寂しい』と検索したその推移だ。
寂しいから『寂しい』と検索するわけではないだろうが、この推移を見ると、明らかにこの10年で寂しいという単語は時代のキーワードの一つになったと言えるような気がしてくる。
寂しいという気持ちを敵だと感じると、それを克服しようとしたり避けようとするようになるが、そのために取る行動が裏目に出るケースが増えてるのではないだろうか。
だとすると、寂しさは敵にするのではなく味方にしなければいけない。
一人を楽しめることが課題になる。
一人が楽しめない場合には、楽しいことは他人がもたらすという依存心の存在が大きいかもしれない。
一人の時間やひとり旅が楽しめるようになると、成り立たないことを望まなくなる。
成り立たせるためには、自分がなんとかできることに限られるので、自分にできる試行錯誤の範囲以上には手を出さなくなり、キャリアを積むと試行錯誤の範囲が拡大し、できることややりたいことの範囲も拡大するが、その望みは地に足がついているので、漠然とした夢や希望ではなくなる。
自分の外側にあるものを過大評価すると、自分でやるよりも外注した方が効率的だなどと思いがちだが、それだと良い結果が出たとしても楽しい気持ちに慣れるのは一回だけで、肝心なことを自分はしてないという虚しさを感じるだろう。
現代の寂しさは、自分の人生なのに自分が主人公になれないことから起きていると感じる。