違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

『検索』の反対語

『ググれカス』、自分では検索すらしないで『〇〇って何?』と聞く人に対しての定番の返事だった。

 

しかし、いつの頃からか『ググるカス』とすら言われるようになった。

 

検索することの価値が変化し、検索したくらいでは良い答えには出会えないということを意味してるのだろう、と思っていた。

 

ふと、『検索する』の反対語はなんだろうかと思った。

 

 

そう思い、Twitterで遊んでいると2010年の孫正義さんのツイートが出てきて、そこに書かれてることが深いなと感じた。

 

ある方が(この方は6年前からツイートの更新が行われていない)、『辞書は検索した単語の周りが見れる紙が良い』と発言したのに対し、孫さんが『その程度なら電子教科書でも簡単』と返事し、それに対して複数の別の方が賛否を主張していた。

 

10年以上前のツイートでは、現在と違い主張のぶつかり合いも穏やかでのんびりした文言で展開されてるように感じられた。

 

最近の主張には本来の論戦には不必要なマウント合戦が多いなと気付く。

 

多様性などと口では言いながらも、勝ち負けや有利不利の烙印を押したがる傾向が一層強くなってるように感じられる。

 

ググれカスが、ググるカスへ変化したことにはこの辺も関係してそうな気がする。

 

書きながら、ググれカスとググるカスの間にはググってもカスがあったなと思い出した。

 

 

 

辞書的には検索の反対語は抽出とされているが日常語ではないのでピンと来にくい。

 

 

改めて想像すると、インターネットやスマホが普及する前には、わからない事を辞書や辞典(事典含む)で調べることは当たり前だと思っていたが、むしろマイナーな存在だったのかもしれない。

 

そもそも辞書などを持ってない人も結構いただろうし、さらに持ってる辞書も古いものだったりが当たり前だったと思うと、いつまでも古い定義や古い考えが残り続けたのは自然な事だったんだなと感じられる。

 

つまり、アナログ時代には情報の更新サイクルがとてつもなく長かったのだ、それに対して現代は情報の更新が瞬時にそして絶えず行われている。

 

ただ普通に生きてるだけでも情報処理能力は高いものが要求されるし、目に見えない情報処理能力の格差も大きいはずで、この能力は従来の頭が良い悪いとは異なった種類に感じられる。

 

 

ここで問題になるのは、瞬時に更新される情報の信頼度や確度だ。

 

現代人は、瞬時に書きかわった情報には素早く反応できるが、その情報の信頼度や確度には中途半端な対応しかできない。

 

情報は書きかわる度に変質するし、時には嘘や間違いで上書きされる。

 

時々男女の浮気のトラブルを巡って、男は上書き保存だが、女はフォルダー保存などと言うが、男女の違いに留まらず、情報処理に関して上書き保存派かフォルダー保存派かの違いは大きな差を生むはず。

 

フォルダー保存してれば、そしてそれらが即座に瞬時に検索可能(記憶してることとほとんど同義)であれば、どこで嘘や間違いが入り込んだかが分かるのに対して、上書き保存派にはそれが見えないし、検索しても断片的な情報を時系列で総合的にまとめて処理することができないのだ。

 

 

検索の反対語とは、と思いながら書き進めたが、思わぬところに着地したような気がする。

 

仮に同じキーワードで検索したとしても、上書き保存派とフォルダー保存派では、反応する情報も違えば、同じ情報に対しても処理の仕方がまるで違うはずだ。

 

第三者の目には全く同じ事をやってるように見えてもだ。

 

検索の仕方で差がついてるように見えることの多くは、検索以前の差なのだ。