違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

絶対音感の悲喜交々

おもしろいツイートがあった。

 

 

 

このツイートを見て思い出した話。

 

ネタ元は養老孟司先生。

 

養老孟司先生曰く、『哺乳類で絶対音感を持ってないのは人間だけ、確かめようはないけど間違いない』と断言していた。

 

音楽を極めるためには必須の才能とされる絶対音感は、人間の場合特殊能力扱いされる。

 

だから、持ってない人は持ってる人に羨望を覚える。

 

しかし養老孟司先生は、人間が絶対音感を持っていたらとんでもなく不都合が起きると言っていた。

 

人間と他の哺乳類のコミュニケーションにおける最大の違いは言葉を使うか使わないか。

 

絶対音感を持たずに言葉を使う人間は、音ではなく言葉の意味でコミュニケーションを取る。

 

意味でコミュニケーションを取るから、同じ言葉を使えば誰が喋っても同じ意味として伝わる。

 

他の哺乳類でも声でコミュニケーションを取るが、それは音としてであるため、人間の耳には同じに聞こえる音でも、動物はその音を周波数で聞き分けるので、誰がどういう状況で発したかを掴み取る、と。

 

飼い犬や飼い猫の名前を呼ぶと反応するのは、名前を理解してに反応してるのではなく、飼い主が発する声だからであり、飼い主でなくても音としての声に安心感を感じられる場合に好意的な反応してるだけ、だと。

 

人間の場合、絶対音感の持ち主といわれてる人にも程度の違いの幅が大きいはず。

 

人間で真に絶対音感の持ち主だと、同じ言葉でも発した人が違えば声が違うのだから意味が変化するという不都合が生じかねない。

 

人間が言葉を身につけ、言葉でコミュニケーションを取れるようになるためには絶対音感は邪魔な能力にすらなるのだ。

 

最も強度の絶対音感の持ち主になると、言葉でのコミュニケーションに苦痛を感じても不思議はないはず。

 

 

ベートーベンやモーツァルトなど、クラシック界の巨匠には変人の噂が多いのは強度な絶対音感の持ち主だったからということがあるのかもしれない。

 

 

不思議な話ではあるが、絶対音感を持ってないおかげで気楽な人生を送れているのかもしれない。