12月に起きた大阪のクリニックでの放火殺人事件は、犯人の計画的無差別道連れ自殺の様相を呈してるが、その被害で亡くなられた方や入院した方やその家族や身内だけが被害者ではない。
通院先を失った患者 府は新しい診療所を紹介 「カルテも何も恐らくない」近隣のクリニックで受け入れも 12/27(月)
この事件に対してどこまで感情移入できるかは個人差が大きいだろう。
自分には全く関係しないと思う人ならば、この事件そのものをもう忘れかけてるかもしれない。
しかし、ほんのちょっとでも『明日は我が身かも』という思いが拭い去れない人は、『じゃあどうすれば良かったんだろうか?』と考えるはず。
この事件の場合だと、犯人は無差別ではあるが自身もクリニックの患者だったことから現場をよく知ってるという現場鑑(勘)があったことと、そのクリニックが雑居ビルで排煙機能が弱いことが被害を大きくしたと見られている。
この事件の場合だと、犯人の動機は抑えられないので、犯行が成立し辛い環境の確保や、犯行が実行されても被害の発生が抑えられるような環境の確保が重要で、立地や建物の構造や内装の構造に依存する度合いが高くなりそう。
立地や建物の構造というのは一種の落とし穴でありトラップになり得るのだ。
最近は12月にしては大雪で、路面凍結での事故やケガやトラブルのニュースがよく報じられてるが、それらの殆どが危険であるのに準備不足で行動するから起きている。
しかも、たった1台が起こした立ち往生でも道路全体の交通を止めてしまうこともある。
そういう意味では殆どは準備すれば防げるのだが、そこには例外があってはいけないというのが厳しいところ。
大事なことは、準備をきちんとすることだが、運転しない外出しないという選択肢は無意識のうちに排除しやすい。
そういえばと思い出すのが煽り運転の被害に遭うこととの共通点。
煽る側が100%悪いのだが、その感情に火を点けさせたのは被害者の無自覚な行動であることが多い。
その無自覚な行動とは、『自分の行動は正しくて間違ってない』というもので、『ルールに従って行動してるのは自分の方だ』という思い込みだ。
感情が激化した現場では、正論や正義は火に油を注ぐだけになりかねないし、相手も自分なりの正義や正論で応戦してくる。
こういう場合、周りにいる人を味方につけることができれば武器になるのだが、現代社会ではそれはよほど運が良くなければ機能しない。
正義や正論を拠り所にしてる人ほど人生にはトラップが多く仕掛けられてるはずだし、そのトラップを踏んでいるだろう。
『おかしいな、なんで上手くいかないんだろう?』、そう思う場合の多くは、無自覚にトラップを踏んでるからだ。
トラップを避けることと、事なかれ主義は、よく似ている。
事なかれ主義とは、重大な何かが起きてるのに知らん顔すること。
トラップを避けることは、重大な何かを起こさせないための配慮や気遣いの実行。
人生には見えないトラップがたくさん仕掛けられている。