いろいろな調査に基づいて、世論という世間の動きが発表される。
少数でも信頼性が高いという統計の理屈を拠り所にしているそのデータを、私たちは自分に都合よく解釈し、多様な場で説明や説得の材料として活用しようとする。
テレビや新聞や広告代理店やその他のメディアが独自に調査発表するデータも、同様に都合よく切り取られながらプレゼンの材料に使われがちだ。
わたしもよくやる。
テレビを見る人が減ったと言われ、新聞を読む人が減ったと言われるようになっても、資料的、データ的な価値が減ったとまでは思われてなさそうに感じられる。
ふと、テレビの街頭インタビューを想像してみた。
あれに応じる人はどんな人達だろうかと。
わたしは、過去に一回だけ応じたことがあるが、それは周りにはカメラはなく、マイクを向けての録音だけでのインタビューだったからだ。
もし、カメラがあったら絶対立ち止まることはなかった。
そんな業界に詳しい方によると、街頭インタビューに応じるのは殆どが以下の3つのパターンだと本に書いてるのを読んだ。
- 迂闊で軽率な人
- 遊び気分の人
- やらせや仕込みやサクラ
表に出てくる声の多くはノイジーマイノリティと言われ、大多数の声はサイレントマジョリティとなると言われて久しい。
だから、表で取り上げられるデータの信頼性は案外低いと言われる。
少し前までは自社の、あるいは自分の、利益につながるような方向にデータをまとめ上げていたように見えていた。
その利益とは金銭的なことだけでなく日ごろ展開してる主義主張の正当性を裏付けるようなものを含めてで、結果として独自性の違いという差別化アピールもあった。
しかし、独自性の違いというのがどんどん薄くなっているような気がしている。
つまり、主義主張は二の次になってるかもしれない。
もっと言うと、『主義主張じゃ飯は食えない』とでも言ってるかのようなのだ。
いわゆるバズるものに、ジャンルを問わず、目先の興味や関心に飛びつかせるような意図が目立つ。
メジャーな反応だと思われてるバズりは、本当はノイジーマイノリティなのかも。
そういう疑いの目で世間の動向を見ることが必要なのかもしれない。
多様性やダイバーシティや分散化、これらは時代のキーワードとしてもてはやされるが、その割には根底にある価値観はますます画一化から抜け出せないように感じられる。
日常で見聞きする情報は、一見メジャーに見えるものほど本当はノイジーでマイナーなものなのかもしれない。
未来を語る話は、何を語っても嘘とはいえない。
そこが狙い目かもしれない。
注意しよう、信じる者は騙される。