違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

美談が増えてる?

価値のあるものを作れば売れるという時代は通り過ぎ、どうすればお金を使わせることができるかにビジネス界の関心がシフトしている。

 

価値があろうとも、売れなければ負け。

 

逆にいうと、価値が低くても売れれば勝ちの世界がそこにはある。

 

 

しかし、価値を感じなければ誰も買わないということも、もう一方の真実。

 

 

だとすれば、落とし所は、誰もが買いたくなるような価値の演出造りということになる。

 

誰もが買いたくなると書いたが、実際には一人ひとりそれぞれが価値を感じられることが重要になる。

 

 

誰もが買いたくなるような価値とは、ドキュメンタリーが導く価値と似てるように感じる。

 

あくまでも真実や事実が大事だが、その真実や事実の解釈には幅というか自由度がある。

 

自分の解釈と世間の解釈が同じとは限らないし、同じようでありながら微妙に違うということも珍しくないが、大抵は似通ったものになりがち。

 

真実や事実とはドキュメンタリー的で、編集という切り取る自由は許容されても、最初からシナリオや台本があったらそれは造りものとしてのフィクションになる。

 

 

売れなければ負けという価値観は、ドキュメンタリーの現場にフィクションを持ち込みやすくする。

 

 

そこで『売れるためには』と登場するのが美談。

 

 

基本はドキュメンタリー的に事実や真実を中心に展開するのだが、要所で美談を挿入することで、お客の気が引けるフィクションにすり替えるのだ。

 

ここでいう美談とは、本当は良くないことなのに、ネガティブな表現やネガティブワードを一切使わないことで、結果として不都合を隠すこと。

 

積極的にウソをつくのではなく、消極的に不都合を隠すことで、冷静に判断できる人には通用しないのだが、気分やノリだけで判断する人には有効になるのだ。

 

 

大げさな美談ではなく、『これってもしかして美談?』が増えてるような気がする。

 

それと同時に気付くのが、Twitterでは『そういうことを美談として取り上げるのをやめて欲しい』という書き込みの存在だ。

 

ここ最近増えたというよりも、いつの頃からか増えていたという印象だ。

 

 

売れれば勝ちという価値観が、今日もどこかで美談を囁いているだろう。