コロナの法的扱い「インフル並みに」60% 維持は31%https://t.co/SNISvyo4XD
— 日本経済新聞 電子版(日経電子版) (@nikkei) 2022年1月30日
このツイートで思い出した話が、直接は関係しない話なのだが、養老孟司先生が『わたしは血圧の数値なんて気にしない』という話。
その話は、『皆さんは血圧の標準値や適正値とされる数値がどのように決定されてるか知ってますか?』という問いかけから始まるもの。
以下は、養老孟司先生の言葉ではなく、その話をわたしがどのように理解したかという話。
膨大な健康診断データや病院での治療データをビッグデータとして集計すると、いわゆる血圧の偏差値といえる分布データが得られる。
※血圧には高い方と低い方の二種類があるが以下に示す数値は高い方。
その中央値(いわゆる偏差値50)の近辺が110〜120だから、これが基準値や適正値として用いられるようになり、その結果140を超えたら高血圧だ、いや130でも高血圧だとされるようになって今がある。
人間なんて一人一人全然違うもの、血圧だって違って構わない。
自分の体調が良いか悪いかは、血圧なんて測らなくても分かるし、たまたま測った瞬間値としての血圧に一喜一憂して、そのことで血圧が変動する方が余程心身には良くない、と。
まさにご尤も。
しかし、それが分かった上でも血圧の数値を気にする自分がいる。
ここで冒頭の記事に戻ると、コロナをインフルエンザみたいなものだと思うことができれば、どんなに気持ちが楽になるだろうかと思ってる人が過半数いるということで、そのために法的な扱いを変えてくれと望んでいるのだと分かる。
これは、気の持ちようだけでは解決しない会社や社会のルールへのうんざり感を示すものだろう。
会社や社会のルールは一体何から生まれているのだろうかというと、世間の空気を読むからだ。
今となってはなんだかよく分からない世間の空気を克服できない理由はというと、責任を取りたくないというその一点に尽きるはず。
コロナをインフルエンザ並の扱いにして何かあったら責任取れるのか、誰が取るんだ?という不毛の議論が繰り返されてることが想像でき、その度にみんな黙りこくってしまうという図が想像できる。
日本では納得できないことでもガマンするということは多いが、欧米ではガマンしないように見える。
ゴチャゴチャうるさいこと言われるのは嫌だからそんな仕事やめてやると行動できるアメリカでは、スタッフ不足になった業種や業界では新たなスタッフ募集のため賃金アップが起こり、スタッフの獲得合戦が起き、さらに賃金がアップし、その結果物価が上昇するという単純な循環が成立しやすいのに対し、日本ではかなりキツくても辞めたら次はないかもしれないとさらにガマンを重ねる。
その様子を見てる経営者は、脱落した者の欠員を従来待遇のまま補充すれば十分だと危機感がないのが正直なとこだろう。
会社がサーカスだとすると、日本の社員はさしずめ象というとこだろうか?