気になるツイートがあった。
高校3年の私へ
— y 23卒 (@to_2384) 2022年2月10日
特に将来やりたいことが決まってないからつぶしがきくようにありきたりな学部に決めたと思いますが、3年経ってもやりたいことは見つかってないしありきたり学部だから何かに生かせる突出した能力もなく、何を学んできたかすらよくわかってないゴミになったよ。今現在就活困ってます。
このツイートに触発され“つぶしがきく“について考えてみた。
きくは『効く』や『利く』、つぶしは『潰し』、という漢字が当てはまる。
いくらでも再利用可能という意味で、金属が再利用可能であることが由来。
いかにも昭和な発想だが、SDGsの現代にも十分通用しそうだ。
つぶしがきくは、無難でありながら効率的な選択するという意味で現代人は使うだろう。
少し前までは、学歴や資格がそれを担保するものだったが、もうそれも行き詰まったようで通用しなくなってきた。
東大に行った人がクイズに人生を賭けようとする姿がそれを物語っていると感じるのはわたしだけだろうか?
学歴や資格と同様に珍重されるものに人脈があるが、要は人間関係だ。
人間関係を当てにし過ぎると、利用したりされたり、貸しをつくったり借りをつくったりになり、良いことだけではなくなる。
狙うとつぶしがきかないのが人脈。
人脈というか人間関係は、悪性のストレスを避けたいなら『好きや敬意』を基準に成り立つ関係性に限るだろう。
一般的につぶしがきくと思われていたことがもはや通用しなくなると、次に頼るのは能力や実力を高めることになる。
これは学歴や肩書きを高めるようなことではなく、専門性や必要に応じた適応性を高めることで、キャリアを積み重ねたから備わるというものではない。
アスリートがパフォーマンスを高め、記録を更新するようにだ。
アスリートの世界では、そのためにドーピングで発揮するパフォーマンスを上げたり、着用するシューズやギアにもドーピング的なアプローチが行われているが、一般社会やビジネスの場ではこのドーピング的アプローチは反則行為というよりもむしろ努力と評価されるだろう。
つらつらと書き連ねたが、つぶしがきくということの成否は、単純に需要と供給のバランス次第だと分かると同時に、つぶしがきく有効期間が急速に短縮化してるので、『コレはつぶしがきく』と出回る時点で賞味期限は終わっていると受け取る必要があるはず。
つまり、何に賭けるかが問われるし、何かに賭けざるを得なくなっているのだ。
これは若者だけでなく、つぶしがきいて人生乗り切ったつもりになってる人にもだ。
バクチを避けたいから、つぶしがきくものを探していた人々もバクチを打つ必要が出ている。