百聞は一見にしかず、おそらく今も昔も当てはまるだろう。
だからこそ昔の旅行には見聞を広めるという大きな意義があった。
文章や写真で現地の情報に触れたくらいでは、行ってないのと同じだし、実際に行って現地で感じるであろう感情には遠く及ばないと誰もが信じていた。
しかし、鮮明な動画や写真に自由に多数アクセスできるようになると、実際に行くのに近い疑似体験が得られるし、知識レベルとしてはほとんど差がなくなる。
スポーツをスタジアムで観戦するのとテレビで観戦した場合の違いでいうと、試合自体の一目瞭然性はむしろテレビの方が上かもしれない、しかし大盛り上がりしてるスタジアムの空気感は現場にいないととても伝わらないだろう。
疑似体験に弱点があるとすると臨場感の表現力だ。
今日敢えて話題にしたいことは、臨場感には欠けるが情報として現場の疑似体験が得られることは立派にエンタメとして機能するのではということ。
エンタメの良さは分かりやすさで、分かりにくいエンタメはエンタメとして成立しない。
分かりやすさとは、どこに宿るのだろうか。
見える化というワードが世間に認知された頃を覚えているだろうか?
私ははっきり覚えている。
ちなみにGoogleTrendsで見える化と検索すると、検索可能な2004年以降でギリギリその境目が感じられた。
Wikipediaには見える化を提唱したのはトヨタと書かれてるがそうではない。
最初に認知された見える化は、電気料金削減のために電力監視装置を普及させる際のキーワードとして用いられていて、技術者レベルでは必要なシステムだと認知されても、経営者の同意を得ようとするとなかなか理解してもらえなかった際のマジックワードが見える化だったのだ。
今となってはプレゼンの基本だが、小難しい話や理屈や専門用語は人の心を閉ざさせるので、簡単な分かりやすい表現に置き換える方が賢明なのだが、専門家や技術者にはそれができないのだ、決して正しい表現ではないから。
プロセスはどうであれ一旦見えるようになると、そこからの理解は経営者ほど早いものだ。
おそらく悩みや心配にも見える化は有効なはず。
その悩みや心配は、いつどこで何をきっかけに生じたのか?
そうすると、悩んだり心配してもしょうがないことであることが見える化されたり、解決するための具体的な対策が見える化できるかもしれない。
〜〜余談〜〜
コロナで見える化されたものに飛沫の飛び散り方や接触確認などがあり、これらは見える化で余計に不安が高まるという人もいるが、賢明な人にとってはこれらは気にしてもしょうがないことに分類してるはずだし、気になる人は行動を変えているはず。
いつまでも不安な人は、気にするけど行動は変えない人となる。
〜〜余談ここまで〜〜
悩みや心配の部分は、目標や目的と置き換えても成立しそうだ。
時として人は、その先に何があるのかを描けないことに突き進むことがある。
やることが悪事でなければどこに突き進んでも構わないのだが、どうせ突き進むなら、目標や目的が描けるものに向かう方が賢明だ。
ありそうでないのが目的や目標であり、なさそうであるのも目的や目標。
どうせだったらあった方が励みになる。
励みになると、迷いは少ない。
目標や目的が明確になることは楽しさにつながり、エンタメ効果を高めるだろう。
目標や目的を楽しそうに語れる人はきっと幸せなはず。