違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

何の役にも立ちそうにないけど夢中になれそうなこと

何かを、嫌々ではなく、仕方なくでもなく、能動的に始めようと思う時、その動機は、役に立ちそうだから、あるいは楽しそう、おもしろそうだから、となるだろう。

 

しかし、ほんのちょっとのおもしろそうという独りよがりな気持ちの盛り上がりで始めて、楽しいと思える前に、そもそも何がやりたくて始めたんだっけととちょっとした後悔に似た気持ちを味わうことも少なくないだろう。

 

何かの役に立つだろう、これはきっと役に立つに違いない、そう思ったものほど予想と現実のギャップに戸惑うことが少なくないかもしれない。

 

 

 

その反対に、何の役に立つのか分からないものほど、夢中になれると楽しいかもしれない。

 

そもそも、何の役に立つのか分からなければ始めようとは思わない。

 

全く期待してないけど、せざるを得なくて始めたら期待に反しておもしろかった、というパターンは少なくないかもしれないが、全く期待してないことをおもしろそうと期待できるためには、そんなつもりはないけどたまたま準備やお膳立てが整っていたという偶然が必要になる。

 

たまたま準備やお膳立てが整っていたから気持ち一つで始められることは運としか言いようがない、計画性はゼロだから。

 

 

そんなことを一つ見つけられたような気がしてる。

 

 

役に立つわけではなさそうだから、上達したり上手になる必要はないのだが、続けていればきっとそれなりの達人になれそうなこと。

 

仮に達人になれたとしてもなんの得もないだろうが自己満足は大きくなりそう。

 

 

もうしばらく続けて経験が増えればブログネタにしてみたい。