この世はすべて数学でできていると言われる。
数学でできているとは、数学で説明可能という意味。
この世にはもちろん宇宙も含まれる。
これに対する反論は多数あり、代表的なものに感情がある。
感情は数式で説明できるとは思い難いからだ。
人によって、置かれた状況が同じだとしても、取る行動は同じにはならない、そんなことを経験として知っているからだ。
しかし、失敗した過去の行動を学習し、同じ過ちを繰り返すまいとするような場合に、その反応に数学的なものを感じることはできる。
どこまできちんと説明できるかはともかく、感情に数学的な要素が介入してることは感じられる。
さて、今日のお題はそんな数学とアートの関係性について。
アートも感情によく似たジャンルで、曖昧さが強いように感じられるので、数学と馴染まないように感じがち。
こんな話がある。
アートと呼ばれるジャンルで、必要とされる要素を細分化すると、最終的にこれ以上分解不可能として残る要素は、『音』『光』『色彩』の三つになるという説がある。
アートに不可欠な、無限のパターンが存在するように思える要素としての形状は、光(及びその反射)によって浮かび上がる存在で、光の中に含まれるのだろう。
特に光に関しては、人間の目は明るさを感じ取る能力が正確ではないと言われている。
視力の違いも関係してるだろうが、光の捉え方はバラツキが大きいのだ。
写真が趣味の人だったら、光や明るさが撮影にどれだけ影響してるかを感じていることだろう。
いつもカメラ任せのAuto設定で撮ってる人はあまり感じてないかもしれないが。
月が出てない夜空の明るさ(周りに人工の照明等もない)を1とすると、晴天の昼間はその1億倍明るい。
星空撮影がカメラにとってどれほど大変かが想像できる。
月明かりだと500倍〜1000倍。
光というのは、変数要素としてこれほど大きいが、この光という存在は数学で完全に説明可能なのは言うまでもない。
アートの他の要素である音も色彩も完全に数学で説明可能であることを考えると、アートとは数学であるということには納得せざるを得ないのかもしれない。
物理的に存在してるものや、起きている現象はすべて数学的に説明可能なのかもしれない、もちろん未だ説明不能な現象の方が遥かに多いとしても。
世間では、数学とアートの関係を正反対に捉えてる人の方が多そうで、互いに苦手分野にしてるかもしれないが、多少なりとも数学的なものに親しみを感じられる人は、アートと相性が良いかもしれないと気付くと得をするような気がする。