善と対立するのが悪。
悪と対立するものには正義もある。
では、善と正義はというと、似てるようで違う。
そんなことを感じる話。
何が「医療行為」であるかという人為的な線引より、目の前の人を救うコモンセンスの判断の方が大切。消防職員さん、何も悪くない。空虚な形式主義が、日本を衰退させる
— 茂木健一郎 (@kenichiromogi) 2022年3月4日
心肺停止で救命活動中…偶然居合わせた看護師に“医療行為”指示 消防職員が懲戒処分 患者は意識取り戻すhttps://t.co/SlvB53Wz3i
ウクライナと同じことが日本に起きたら?
「日本人はアメリカによる占領しか知らない」「抵抗をやめれば、待っているのは虐殺のみという経験がある」…“義勇兵”に志願した日本人とウクライナ人が語る、本当の“平和”
EXITのりんたろー。は「日本では“国を守る”とか、“国のために戦う”といった感覚がすごく薄い気がするが、世界的に見ればそういう国は珍しいと思う。
この二つの話には、大元に共通する臭いが感じられる。
悪を嫌うが故に、善や正義の類似概念を対立させてしまうのだ。
日本人の癖かもしれない。
潔癖であることを自分や他人に求めるくせに、その割には『嘘も方便』、『時と場合を弁えて』と、薄汚れた行動を平気で取る。
第二次世界大戦で懲りたからかもしれない。
『国やお上が言うことは嘘ばかりだ』と。
後ろ指を指されないようにルールや法律を守ろうとするが、ルールや法律を愚直に信用したら不都合や損が多いことをどこかで悟っている。
たぶん、本当のピンチの時に日本人は一つにはなれないだろう。
だからこそ少数で良いから一つになれる仲間がいることには価値がある。