違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

久しぶりに聞いた加藤諦三さんのことば

久しぶりにテレホン人生相談を聞いた。

 

今日聞いたのはパーソナリティが早稲田の教授の加藤諦三さんで回答者が幼児教育の大原敬子さんという、知る人ぞ知る最強コンビ。

 

今日の相談者は、59歳の男性で、大学を留年してるが全くやる気なさそうに日々過ごしてる大学生の息子に関して。

 

相談内容や回答内容の詳しいことは割愛するが、相変わらず鋭いなと感じた。

 

ちなみに回答は、問題は息子というよりも相談者夫婦の関係性にあると指摘するものだった。

 

わたしが過去にテレホン人生相談をよく聞いていたのは20年前から10年前頃で車を運転中にだった。

 

1938年生まれの加藤諦三さんが相変わらず健在なのが嬉しかった。

 

そう感じるとともに、加藤諦三さんだったらロシアというかプーチンのウクライナ侵攻をどう見てるのだろうか、是非意見を聞いてみたいものだと思った。

 

検索したが、加藤諦三さんの直接の発言は見つからなかった。

 

その代わりに、プーチンやロシアのことを言ったわけではない過去の発言をプーチンと結びつける書き込みはあった。

 

そんなことばを記すと、

 

 

劣等感を補償するのが優越感である。同時に劣等感の補償としての優越感は魔法の力を持った地獄への切符である。

 

 

トラブルを起こす人は相手も状況も見ない。自分の価値観だけで動く。

 

 

上記の指摘は誰でも聞けば頷けるだろう。

 

結果、最近のプーチンは暗殺を恐れてナーバスになってるという話もよく聞く。

 

しかし、実は充実してるのかもしれないと思わせられるようなことばもあった。

 

 

自分の使命・天命であると思えるような「何か」にひたすら没頭していくとき、その「結果」として幸福は自然と生じる。(諸富祥彦)『知の教科書フランクル』

 

 

どんな人間にも心は必ずある。

 

問題は、どんな心を持ってるかだ。

 

心があるのだから心理学的には理に適った行動を取るはず。

 

その行動に共感できるかできないかは、心のありようや持ちようが違うだけのこと

 

 

今起きてることは合理的ではないが、理に適ってるから起きてるという視点は必要だろう。

 

つまり正義vs正義という不毛が展開されているのだ。

 

こういう正論こそ最も無価値で虚しい。

 

 

こういう時に救いになるのは、楽観主義と悲観主義のどちらななのだろうか?