街中はデザインで溢れている。
街中だけではなく、スマホの中にもデザインは溢れている。
例えがアイコン。
小さなサイズでかつシンプルなデザインなのに、そしてアプリの数だけ種類があるのだが、慣れると瞬時に見分けられるし、探していても見つけやすい。
オリンピックや国際イベントの会場では、言語や文化の枠を超えて一目で分かるような案内デザインが求められるが、そのためのアイコン的なデザインはピクトグラムと呼ばれ、2020東京オリンピックでピクトグラムという名称は日本人にも幅広く認識されるようになった。
2014年に賛否両論あったがAppleがアイコンをフラットデザインに変更した。
従来型(スキューモーフィズムと呼ばれる)の立体感を表現したり陰影を付けたデザインからの変更は、その後続々と浸透していった。
この変化を、若者は好ましく受け取り、年配者は不満を持つと言われていた。
テクノロジーが高度化し複雑さを極める一方で、その案内役を担うデザインはシンプル化が進んでいるのはおもしろい現象だが、これは人間が主役だからこそのデザインのシンプル化だと考えると納得できる。
知識で武装した現代人は世の中を実際以上に複雑に考えがちで、その代償としてフェイクに騙されやすくなっている。
世の中で起きてる出来事も、ある意味デザインされたものといえるだろう。
シンプルににフラットに捉えた方がしっくり来るのか、それとも複雑に立体化し陰影を付けた方がしっくり来るのか。
両方の視点を持った上で、シンプルに、フラットに寄った方が時代には合っているのかもしれない。