敢えて行動を起こす時、そこには動機やモチベーションがあるはず。
しかし、その動機やモチベーションを細かく分解すると、実に多くのことが見えてくる。
動機やモチベーションは、強い目的意識や目標意識に支えられてるように感じられたはずなのに、思っていたほど強くはないということに気付かされることが少なくない。
動機やモチベーションは、無難に世間と折り合いをつけるだけのものだったり、むしろ自分の本心や本音から逃げるためのものだったりする、ということが少なくない。
時期的に卒業や進学や就職など、進路が変わるタイミングを迎えているので、夢や希望や『今度こそは』という思いを秘めてる人が大勢いるだろう。
しかし、そんな気持ちと裏腹に現代社会は混沌を極めている。
混沌を極めた社会では、将来や未来は見据えにくい。
将来や未来に対するイメージが曖昧だと、目的や目標となるものがありそうでなさそうというジレンマも多いはず。
このジレンマは、現代人が時間という概念を理解してるから生じるもので、古代人や他の動物にはあるかないかは不明とされている。
時間の概念への理解が曖昧だと今しか自覚できないはず。
時間の概念を理解していても具体的な行動は起こせるのは常に今だけ。
そう考えると、結局大事なのは今ということになるのか?
『人生とは?』、多くの先人を悩まし続けた大きな哲学のテーマで、いまだに明快な答えがあるわけではない。
今を過度に重視すると争いがちになるような気がする。
人間社会が結果をより早く求めるようになり、今すぐと求めることが増えたことと、今世界で起きてることは無関係ではない気がする。
僧侶であり作家であり政治家だった今東光(こん とうこう)さんはこう言った。
「人生はな、冥土までの暇つぶしや。だから、上等の暇つぶしをせにゃあかんのだ」。
今こそ上等の暇つぶしについて考える時期かもしれない。