違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

振り子が止まり始めてる?

かつて角川映画の宣伝で原作本を映画化した際に『読んでから観るか、観てから読むか』というキャッチフレーズがあった。

 

もちろん原作本の出版は角川出版。

 

1970年代の話で、このキャッチフレーズは主にラジオで当時の小中高の少年少女にあっという間に認知されたことをふと思い出した。

 

それなりに有名だったり知名度があることが前提とはいえ、広告宣伝の展開の上手下手で結果は大違いだったが、まだこの頃は広告宣伝はどちらかというと裏方だった。

 

しかし、あっという間に注目分野になり、中でもコピーライターが脚光を浴び始めた。

 

広告宣伝の顔となる著名人や有名人や芸能人よりも、コピーライターが誰かの方が注目を浴びるようになり、有名コピーライターが手掛けたCMに対してうんちくを語ることは雑談や飲み会での話題になるほどだった。

 

 

時は流れ、おそらく90年代の半ば頃だと思うが、引退したアナウンサーや、最近テレビで見ないなと思っていたコメンテーターが、大学教授になるということが増えたことに気付き始めた時期があった。

 

そういえば時を同じくして大学はスポーツに力を入れ始めスター選手を求め始めた。

 

どちらも、少子化を見据えて有名人の授業が受けれることや同級生や在校生に有名人がいることが受験生を集めることの効果を期待したからだろう。

 

この傾向は今でも続いてるように感じるので一定の効果が得られてるのだろう。

 

 

昔のコピーライターのような扱いを受けるようになった人種として21世紀では出版界における編集者がいる。

 

有名編集者はカリスマと呼ばれ、手掛けた本は部数を伸ばした。

 

しかし、この編集者ブームは馬脚を露わすのも早かった。

 

カリスマ編集者がやっていたことは、読者をリードすることではなく、読者に迎合することだったので、飽きられるのも早かったのだ。

 

 

SNSの時代になると、インフルエンサーと呼ばれる有名人も出始めたが、この頃から有名人の分散化が進み始めていたのだろう。

 

昔の有名人のように名前だけだったら誰でも知ってるというような知名度はなく、知る人ぞ知るという種類の人にシフトし始めたのだ。

 

 

いろんな出来事を振り返ると、有名であることの分散化は活躍の場の多様化とリンクしていることにも気付ける。

 

テレビの視聴率が下がるのは当然だし本が売れないのも当然だし、さらにコロナの影響で人が集まることすら分散化の波が影響を及ぼすようになった。

 

これに加えて、ロシアのウクライナ侵攻が世界に及ぼした影響が今後どのように波及するのか?

 

ロシアのウクライナ侵攻は、良かれと拡大したグローバル化の負の面を唐突に突きつけている。

 

 

世の中の動きを振り子に例えるならば、今振り子は一方に振れ切ってしまう寸前のように感じられる。

 

もしそうなら、そう遠くないうちにベクトルは逆になるのだ。

 

 

逆になるといっても過去に逆行することはない。

 

一体何がどう逆になるのだろうか?