コロナをなんとかしたいという思いは共通してるはずなのに、ワクチンを打つか打たないかという選択を迫られると分断が生じる。
ロシアがウクライナに侵攻し、一般市民の中でも弱者に該当するような人々に攻撃を加えていて世界はロシアを非難するが、非難の声が100%になるわけではない。
特に日本では、ウクライナのゼレンスキー大統領がアメリカ議会で『1941年12月7日の恐ろしい朝、パールハーバーを思い出してください。2001年9月11日、街が戦場に変わったことを思い出してください…』とスピーチしたことで、それまでウクライナに心を寄せていたかに見えていた一部の日本人たちが、急に態度を変えはじめたかのような発言が目に付くようになっている。
ポジショントークといえばそれまでだが、人間ってめんどくさいなと思わされる。
人間はどういうシチュエーションに置かれると思いを一つにできるのだろうかと考えてると映画のシーンが頭をよぎった。
街をゾンビに囲まれて逃げ場がないような場合、それまでいがみ合っていた生き残っている人々が思いを一つにするようなシーンであったり、地球に脅威をもたらす存在が宇宙からやって来るような場合にそれまでイデオロギーの対立や戦争やテロなどで決して同調に馴染まない民族や国家が思いを一つにして協力し合うという脚本が成り立つ。
地震や津波や水害などの自然災害が怖いのは、地球に比べて小さな存在であることを思い知らされるからかもしれない。
逆に考えると、戦争をはじめとした争いごとがなぜ無くならないかというと、何があっても地球は暴れ回る舞台として大丈夫という前提が揺らいでないからかもしれない。
地球上の核兵器は地球を吹っ飛ばすくらいの威力があると言われてるが、その実感はないし。
人間がめんどくさい存在なのは、地球が安泰だからなのかもしれない。
SDGsが話題になるが、地球温暖化や環境が破壊されてもたぶん地球は痛くも痒くもなく、表面で生きてる生き物が苦しむだけの話なだけかもしれない。