3月上旬に次のような記事が出ていた。
富士通は顧客からシステム開発を請け負う事業から、データ活用などの分野に絞ってサービスを提供する事業モデルへの転換を進めている。
システム開発よりデータ活用の方が儲かると富士通は判断したのだろう。
今日のお題はデータ活用。
データが整っていると、そのデータを基にした解釈は体裁が整うので、その解釈はエビデンスがあるとか証明されたと思われがちになる。
サンプル数が少なくてもデータとして当てになると言われるのが統計学。
サンプル数は莫大なのに、一体なんの役に立つのか分かりづらいのがビッグデータ。
データの数や量の多い少ないは、まるでカメラの画素数のように感じられる。
多い方が良さそうだけど多ければ良いってもんではない。
データの収集や、そのデータの分析や解釈は、たった一つの真実の証明に役立つと思われがちだが、この一連の作業が人間の手で行われる限り、常に疑問や怪しさは拭えない。
そのデータの収集に悪意や故意が無かったとしてもだ。
かつてはデータ収集には組織力が必要になることが当たり前だったが、ネットやSNSの普及でデータの多くは大衆やエンドユーザーから発されるものが主流になった。
ただこれらのデータは極めて主観的なので中立性や信頼性が低いとされるが、普通の調査では明かされないほどの本音もたくさん含まれる。
匿名の情報は信頼性が低いとされるが、匿名だろうと実名だろうと信頼性に関しては大した違いはないはず。
もちろん突拍子もない嘘は匿名の方が多いだろうが、匿名だから嘘が多いとは言えない、むしろ本当の本音は匿名で発される方が遥かに多く信頼度が高いと言えるのに対し、実名だと良くも悪くもオブラートに包まれるはず。
データそのものは無色透明無味無臭だとしても、その解釈には生臭さが漂いポジショントークになりがち。
情報としてのデータに解釈が加えられると、新たな別の情報になる。
この情報の変遷を一次情報、二次情報、三次情報…と序列化すると上位の情報をありがたがる傾向になるが、それも匿名より実名を重んじることと同列で、今となっては思い込みだ。
データに裏付けられたかのような情報は、言われるがままに受け取ってはいけない時代になっているのだ。
少し前まで確かな情報のように扱われていた取材情報は、急速に最もあやふやな情報になっていてもおかしくなく、取材情報はもはや単なる広告宣伝となっている。
正解は、自分で作る時代なのだ。
勝てば官軍負ければ賊軍と昔から言われてるが、これまでは人と同じようなことをやってそこから抜け出すことで官軍を目指していたが、これからは自分独自の作戦で動くしかない。
信頼できる情報を探すよりも、自分自身の情報解釈のリテラシーを高め、みんなが向かってる方向が見えたら違う方向を見つける方がきっと賢明だ。
ピンチの時ほど人は同じ行動を取りたがる、それは答えは自分の外にあると思い込むからで、きっと共通し共有できる答えを誰かが持ってるはずと。
この考えは間違ってはないが、それだけでは足りない。
それを踏まえて自分はどうするかこそが大事になる。
結局最後は勝てば官軍負ければ賊軍ならば、自分流を貫く方が潔いし気持ちいい。
情報やデータは自分の気持ちを高めるために都合良く使おう。
都合良く使う場合の大敵は、独り善がり。
独り善がりをを排除するためには、絶えず自問自答することを習慣にするしかない。
データは賢く都合良く使おう。